2025年6月15日 三位一体主日
- 明裕 橘内
- 6月15日
- 読了時間: 12分
聖書交読 ローマ5章1~5節(新約p279)
司)1:このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
会)2:このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
司)3:そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
会)4:忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
全)5:希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
聖書朗読 ヨハネ16章12~15節(新約p200)
12:言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
13:しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
14:その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
15:父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
説教 「真理の霊が来る」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
本日は三位一体主日なのですが、「真理の霊が来る」という説教のタイトルだけ見ると、聖霊降臨を祝うペンテコステのようです。ここで「真理の霊」とは、もちろん聖霊のことを表しています。あるいは御霊とも呼ばれます。しかし、救い主イエス様と、イエス様をお遣わしになった父なる神様のお働きに、顕著な聖霊のお働きが加わって、今日の三位一体主日を迎えているのです。その点で、聖霊の働きは三位一体を理解するうえで重要であることは間違いありません。なおかつ、本日の聖書箇所に、三位一体の神様の姿が表れているのです。丁寧に読んでまいりましょう。
まず、12節は、イエス様のこの言葉から始まっています。「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない」。14章からずっとイエス様の説教が続いておりまして、特に16章の4節からは、聖霊の働きについてイエス様は語っておられます。多くのことをイエス様は語ってこられましたが、それでもなお、まだまだ言い足りないのだ、ということです。しかし、だからと言って、これ以上語ることはしない、というのです。それは、「今、あなたがたには理解できない」からだ、とイエス様はおっしゃいます。この箇所に関して、いちばん新しい翻訳である聖書協会共同訳は、「あなたがたは今はそれに堪えられない」と訳し出しています。原文は、どちらかと言うとその方に近いように思われます。しかし、それはどういうことなのか、と突き詰めて考えれば、日本語としては、「理解できない」という解釈になるわけで、新共同訳はそのような点に留意した翻訳、ということになるのでしょう。
それにしても、ここまでイエス様にはっきりと、「これ以上あなた方は理解できない」と言われると、何だか「いや、言ってくださいよ、少しはわかりますから」と言いたくもなります。そんなに私たちには理解力がないのか。しかし、大事なのは、「私たちではイエス様の真理をすべて理解できるわけではない」と自覚することなのです。私たちはつい、「ああ、わかった、わかった」と言いたくなるものですが、イエス様がお話しなさるのは神様の真理なのですから、そう簡単に私たちの理解力だけで分かるわけではありません。もしそれでも「わかる」と言い張るのであれば、それはプライド、ということになるのでしょう。私たちは身を低くして、「私たちにはわからないのです」と言うのです。
これは、何もイエス様が私たちを責めている、ということではありません。私たちにあまりいっぺんにたくさん詰め込むと、私たちの負担になる、ということで、イエス様の側のご配慮でもあるのです。そしてまた、イエス様は私たち人間に、「あなたたちにはわからないよね」と言って、そのまま放置するような方ではありません。私たちがわからないなら、何か別の助けの手段を講じてくださる。それがイエス様なのです。そのことについて、続く13節で語られています。
その13節で、本日のタイトルにありますように、「真理の霊が来る」ということが、御子イエス様の口から語られています。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」と言われています。
ここに、真理の霊、すなわち聖霊の働きが語られています。ちなみに、聖霊は、三位一体の神の第三位格と言われます。その方が、まずオリジナルの意味では、イエス様の説教を聞いていた弟子たちに働き、彼らを導いて、真理をことごとく悟らせる、ということになります。ひいては、私たち信じる者を導いて、私たちに真理をことごとく悟らせる、ということです。
先ほど、私たち人間が、自分たちの力ですべての真理を理解することができるわけではない、ということをお話ししました。それは悲しむべきことではなく、だからこそ、イエス様は私たちのもとに真理の霊が来るのだ、とお話しくださったのです。神様に関するすべての真理の理解は、私たち人間の出来ることではありません。そのために、真理の霊、すなわち聖霊がおられるのです。私たちを、すべての真理の理解へと導く。それが、真理の霊である聖霊のお働きです。
そして、ここにはその方の特徴も記されています。それは、「自分から語るのではない」ということです。「その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」と言われている通りです。このあたりのことを特に強調して、新しい聖書協会共同訳では、「その方は、勝手に語るのではな」い、と訳しているほどです。
ここに、真理の霊である聖霊を理解する鍵があります。この方は、ご自分を前面に押し出して、世に現わそうとはなさいません。世には聖霊の力の面を前面に押し出し、あたかもそれが唯一の真理であるかのように、聖霊のみを強調するような教会もありますが、それについてどうこう言うつもりはありませんけれども、要するに大事なのは、聖霊の力の「顕れ」よりも、聖霊ご自身です。そして、その聖霊ご自身の性質として、親しく交わりを持っておられる御子イエス様が、「その方は自分から語るのではない」とおっしゃる限り、その通りなのです。「私が聖霊です」というような現れ方はなさらないのが聖霊です。むしろこの方の願いは、聞いたこと、すなわち、御子イエス様から聞いたことのみを伝えたい、ということなのです。自分のことをあれこれ表そう、語ろうとはなさらないのです。このような聖霊の御人格と言いますか、位格に親しく触れることは大事です。ついついそちらを見落とし、目を見張るような、いやしであるとか、奇跡などの方につい目が行ってしまうのが人間の弱さで、そういうことが盛んにおこなわれている所が生き生きとした教会で、そうでないところは死んだ教会だ、というような極端な意見も出てきてしまうのですが、そもそもそのようなことは、聖霊の望まれることではありません。聖霊の願いは、たとえそれを私たちが理解できなくても、御子イエス様から聞いて、それを私たちに真理として告げる、ということなのです。ある意味目立たないことであるかもしれませんが、それが御言葉が述べていることなのです。
14節にも、聖霊のお働きが記されています。イエス様はこう言われます。「その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである」。いやしも奇跡も、確かに聖霊のお働きとして、それに端を発することもあるでしょう。しかし、もともとの聖霊のお働きとは、イエス様に栄光を与える、ここに尽きるのです。先ほど、聖霊が自分から語らず、イエス様の語られたことを聞いて、それを伝えるに徹する、ということをお話ししましたが、それはすなわち、イエス様に栄光を与えるためになされることだったのです。別な訳では、「イエス様の栄光を現す」と訳されています。聖霊は何をなさる方か。それは、イエス様の栄光を現すことです。真理の霊として私たちのもとに親しく来られて、私たちを真理に導き、イエス様の語られたことを私たちに告げることで、私たちにイエス様の栄光を現してくださる。これぞ、聖霊なるお方のなされることなのです。
そのように、真理の霊、すなわち聖霊について、今までお話ししてまいりました。いよいよ15節で、三位一体の神様の姿を見ていくことになります。15節には、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである」と記されています。ここで「父」は父なる神様のこと、「わたし」は救い主である御子イエス様のことです。そして、イエス様がおっしゃる「その方」こそが、真理の霊である聖霊なのです。このように、三位一体の神様のことが、ここに表されているのです。
この箇所において、父なる神様が持っておられるものはすべて御子イエス様のものであり、なおかつ、真理の霊である聖霊がそれらをそっくり受けて、信じる者に告げる、という構図が示されています。この点で、三位一体の各位格、すなわち父、子、聖霊は等しい、ということが明らかになります。しかも父なる神様の持っておられるものがリレーのように受け継がれて、父なる神様のものがイエス様に、そしてイエス様から聖霊に、そして聖霊が、ご自分が受けたものを私たち信じる者のところにまで届けてくださる、ということがわかります。
こうなると、私たちもこの三位一体の神様につながっている、ということがわかります。ですから、その意味ではこの神様は私たちから遠くはないのです。三位一体の神様は私たちと無関係ではありません。神様のリレーは、父なる神様から発した良いものがイエス様に、イエス様から聖霊に、そして聖霊から信じる私たちに、とバトンタッチされていくのです。
では、ここで「父が持っておられるもの」とは具体的に何でしょうか。それがイエス様に受け継がれ、それを聖霊が受けて、私たちに伝えられるのです。どんなものが考えられるでしょうか。まず浮かぶのは、神様の愛です。私たちを造り、私たちを今も保っていてくださるのは父なる神様の愛によることで、この愛が御子イエス様を経由して聖霊へ、そして聖霊から私たちに、というように受け継がれ、私たちのもとに伝えられてきます。だから、どんなに自分の価値が見えないときにも、落ち込むときにも悲しみの時にも、神様の愛が聖霊を通して心に注がれ、私たちは慰められるのです。また、恵み、救い、といったものも、もしこれを今年のテーマでもある「恵みによる救い」ということで考えるなら、特に父なる神様が御子イエス様に深くかかわるものとして与えておられ、それを聖霊が受け、私たちに「御子イエス様は救い主であり、私たちを愛し、恵みによる救いを与えてくださった」と伝えてくださることになります。それがあってこそ、この世に救いなどあるのだろうか、そして私は本当に救われるのだろうか、と疑い迷う夜にも、恵みによる、ただただ一方的にイエス様からいただく救いを確信することができるのです。他にもまだまだあります。神様の力。これがあって、私たちは特に最近変動の多いこの世の中でも、強く生き抜いていくことができます。また、神様の知恵。これもまた、父なる神様から御子イエス様へ、そしてそれを真理の霊である聖霊が受けて、私たちに真理を悟る知恵として伝えてくださる、ということであるのです。だからこそ、私たちは困難多きこの世をも、神様からの知恵をいただいて、賢く生き抜いていけるのです。
さて、このように三位一体の神様のことを御言葉から学んできましたが、最後にせっかくですから、この真理の霊、聖霊の働きのまとめをしておきたいと思います。
真理の霊である聖霊はまた、私たちを照らしてくださる方です。私たちのうち側が光で照らし出されたら、それはそれで困ると言いますか、いろいろと良くないところ、すなわち罪の姿があらわになってくるわけですが、だからこそ、私たちには救い主である御子の必要性がわかり、イエス様の方に向かうことができるのです。そして、この聖霊は、イエス様の語られたことを思い起こさせてくださる方でもあります。同じヨハネによる福音書の14章に、このような御言葉があります。
「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネによる福音書/ 14章 26節)
さらにこの方は、私たちの傍らに来て、私たちを慰めてくださる方です。私たちは先週、突然の悲しい知らせを耳にしました。母の家ベテルのシスター辻野の召天のお知らせでした。このことは、悲しみだけでなく、人間いつ何が起こるかわからない、という不安をも巻き起こしたかもしれません。葬儀の時には、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」という同じヨハネによる福音書14章の1節の御言葉が読まれたのです。私たちの心は騒いでいたのです。しかし、そのような時こそ、私たちに寄り添ってくださり、私たちを慰めてくださる慰め主、聖霊の働かれる時です。確かに、死は誰にでもやって来ます。場合によっては、思いもかけないときに、突然やってくるかもしれません。しかし、たとえそうであったとしても、その時までは、聖霊は私たちの傍らにいて、私たちを常に慰め、平安のうちに真理へと導いてくださるのです。この真理の霊を含め、私たちには三位一体の神様がおられ、その手厚い保護のうちに、最後の日まで、平安に生きることが許されています。そのことに安どして、焦らず落ち着いて、この三位一体の神様に心を寄せて、この世の歩みを続けてまいりましょう。
お祈りします。
天の父なる神様。この三位一体主日の朝をありがとうございます。真理の霊である聖霊が私たちの所に来てくださって、私たちをあらゆる真理へと導いてくださいますことに、感謝いたします。また、地上では私たちは様々な悲しみに直面するものですが、慰め主としての聖霊が傍らにいてくださり、いつも豊かに慰めてくださること、ありがとうございます。造り主である父なる神様、救い主である御子イエス様、そして助け主である聖霊の三位一体の神様に私たちもつながって、父なる神様のものをイエス様を通して、またさらに聖霊を通して受け取ることができ、感謝いたします。神様からいただく愛、恵み、救いによって、この世を平安を持って過ごしていくことができますように。困難の中で生きづらさを感じている人々には、御手による助けがありますように。
尊い救い主、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
報告
・本日は父の日です。プレゼントが用意されています。午後は新約聖書の学びがあります。

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