2025年4月13日 受難主日(棕櫚の主日)
- 明裕 橘内
- 6 日前
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聖書交読 フィリピ2章6~11節(新約p363)
司)2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
会)2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
司)2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
会)2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
司)2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
全)2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
聖書朗読 ヨハネ13章31~35節(新約p195)
13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。
13:32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。
13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
※本日は馬渕主事の説教です。説教の要約を掲載します。
【本日の説教より】
今日は、棕櫚の主日です。イエス様が、エルサレムに最後に入ってこられた日で、それからの一週間に、実に様々なことが起り、金曜日にはイエス様は十字架につけられ、その3日後に復活されます。まさに主のご生涯のクライマックスでもあり、例えばヨハネによる福音書では、全体の半分の数の章を使って、この一週間のことを記しています。
イエス様は、ご自分が辿られる十字架への道を、はっきりとご存知でした。その上で、弟子たちに話しかけられます。そして彼らの足を洗い、愛するということの模範を示されました。その上で、今日の聖書の箇所にある「新しい掟」を、最後の掟として与えられたのです。
他の福音書と、ヨハネは異なった書き方で、その掟のことを記しています。そこで繰り返されて説かれていることは、「互いに」「愛しなさい」という言葉です。どちらも何回も繰り返されます。しかし、私たちは知っています。そのように、いつも誰にでも愛を注ぐことはできないということに思い至るのです。主は、そのこともよくご存知でした。ですからそれ故に、「わたしがあなたを愛したように」と説かれたのです。キリスト教では愛が説かれる、とよく言われます。しかし、そこで言われる愛は、私たちが自らなせる行為ではないのです。そこが道徳としての隣人愛と、クリスチャンのなす愛の違いなのだとも考えられます。わたしたちは、まずイエス様が測り知れない愛でどこまでも愛してくださった。そして、それを信仰によって受け入れたからこそ、その与えられた愛を、回りの人たちに分かち合うことができるのです。
主のご受難の週にあたり、私たちは、イエス様の示された、たとえようもない深い愛について、いま一度思い返し、そこから新しい掟についても、思いを深めていければと願うのです。
報告
・イースター献金をおささげいたしましょう。来週は、イースター礼拝です。午後は1時半から、住吉霊園教団納骨堂にて、墓前礼拝があります。

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