2025年2月16日 顕現後第六主日
聖書交読 エレミヤ17章5~10節(旧約p1208)
司)17:5 主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし/その心が主を離れ去っている人は。
会)17:6 彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく/人の住めない不毛の地/炎暑の荒れ野を住まいとする。
司)17:7 祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。
会)17:8 彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り/暑さが襲うのを見ることなく/その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく/実を結ぶことをやめない。
司)17:9 人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。
全)17:10 心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。
聖書朗読 ルカ6章17~26節(新約p112)
6:17 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、
6:18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。
6:19 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。
6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。
6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。
6:22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。
6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。
6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
※本日は玲子牧師の説教です。説教の要約を掲載します。
【本日の説教より】
聖書では、反対語で対比を際立たせて、本質を明確にする表現方法が随所に見られます。エレミヤ書17:7の「祝福されよ」に対して、「呪われよ」は、神様からの祝福がない状態と考えられています。また、ルカの福音書において、「貧しい」と「富んでいる」も、同様に対比が用いられています。
ルカ6:21の「今飢えている人々は、幸いである」という、私たちの常識を越えた言葉も、「神様に信頼すれば」、これから主なる神様が満たしてくださって、幸いへと導いてくださる。このように信頼すれば、天の豊かなごほうびをいただくことができるとイエス様は語られたのです。
この時、聞いた弟子たちはまだ半信半疑だったかもしれませんが、その後、イエス様のみわざを目の当たりにします。7章では一人息子を失った女性に息子のよみがえりを行われ、「今泣いている人々は笑うようになる」という言葉が実現されました。また、9章では少しの食物しかないところから何千という人々の空腹を満たされ、「今飢えている人々は満たされる」という言葉が実現されました。
恵みの雨を与えてくださる神様に、またみことばを実現してくださるイエス様に、私たちも信頼を深めていきたいものです。
報告
・本日は玲子牧師の説教でした。橘内師は三田フェローシップキリスト教会でのご奉仕です。来週午後は、三浦綾子読書会があります。

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