2025年1月12日 顕現後第一主日
- 明裕 橘内
- 1月12日
- 読了時間: 4分
聖書交読 イザヤ43章1~7節(旧約p1130)
司) 43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
会) 43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。
司) 43:3 わたしは主、あなたの神/イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし/クシュとセバをあなたの代償とする。
会) 43:4 わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。
司) 43:5 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り/西からあなたを集める。
会) 43:6 北に向かっては、行かせよ、と/南に向かっては、引き止めるな、と言う。わたしの息子たちを遠くから/娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。
全) 43:7 彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者。
聖書朗読 ローマ3章21~31節(新約p277)
3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
3:30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。
※本日は午前の御影も午後の園田も馬渕教会主事の説教です。ここでは、その要約を掲載します。
説教 「律法と信仰」要約
今日のテキストの展開は、実に素早いものでもあります。21節と22節で、神の義は分け隔てなく与えられるとあり、23節では、しかし私たちはすべて罪人であるとされた後、次の24節ではもう「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」というみ言葉が続きます。創世記から始まり、旧約聖書の時代を通り越して、ここでは新約聖書に記されている圧倒的な真理について語られています。私たちは「信仰によって義人とされる」というキリスト教の根幹が、ここでは語られるのです。
テキストの後半でパウロは、さらに力強く語ります。それは、私たちが自らの行ないに頼ることをはっきり否定することについてです。「行ないが伴わない信仰について」皆さんは、はっきりとした考えをお持ちでしょうか。往々にして「行ないの伴わない信仰」は十分ではない、あるいは偽物だと考えることはないでしょうか。パウロは、そうした考えてをきっぱりと否定します。なぜなら、救われるとは、そして救われるためには「行ない」は必要なものではないからです。なぜでしょうか。それを27節は明確に語ります。行ないが救いに導くのであれば、私たちは自らを誇ることになるからです。
神様は、私たちを救おうと忍耐しておられます。その神様への応答は、行ないで応えられるものではないのです。神様からの一方的な恵みを受け入れ、神様の前にサレンダー(これは降伏するという意味です)して、自らの罪を認めて悔い改め、ひざまずいて、その恵みを受け取る、それが信仰なのです。28節は、「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による」と明確に記しています。信仰とは、恵みを限りなく信頼して受け取ることでもあります。そうした全き信仰の結果として、私たちは良い実を結ぶことへと神様によって導かれるのです。
報告
・先週は今年最初の主日礼拝でした。午後は昼食会があり、フェローシップMLCの交わりがあり、役員会も開催されました。本日午後は今年最初の園田伝道所礼拝です。来週は青年会主催の聖書研究会があります。

Commentaires