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執筆者の写真明裕 橘内

2024年9月15日 聖霊降臨後第17主日


聖書交読 詩編116編1~14節(旧約p956)

司) 116:1 わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き

会) 116:2 わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。

司) 116:3 死の綱がわたしにからみつき/陰府の脅威にさらされ/苦しみと嘆きを前にして

会) 116:4 主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」

司) 116:5 主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。

会) 116:6 哀れな人を守ってくださる主は/弱り果てたわたしを救ってくださる。

司) 116:7 わたしの魂よ、再び安らうがよい/主はお前に報いてくださる。

会) 116:8 あなたはわたしの魂を死から/わたしの目を涙から/わたしの足を突き落とそうとする者から/助け出してくださった。

司) 116:9 命あるものの地にある限り/わたしは主の御前に歩み続けよう。

会) 116:10 わたしは信じる/「激しい苦しみに襲われている」と言うときも

司) 116:11 不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。

会) 116:12 主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。

司) 116:13 救いの杯を上げて主の御名を呼び

全) 116:14 満願の献げ物を主にささげよう/主の民すべての見守る前で。


聖書朗読 マルコ8章27~38節(新約p77)

 8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。

 8:28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

 8:29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」

 8:30 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。

 8:31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。

 8:32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。

 8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

 8:34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

 8:35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。

 8:36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

 8:37 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

 8:38 神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」


※今朝は玲子牧師の説教です。その要約を掲載します。


説教 「あなたはイエス様を何者だと言いますか」


「あなたは、メシアです。」とペトロは答えた。メシアとは油注がれた者(預言者、祭司、王)を示し、弟子たちはイエス様に王(政治的な支配者)となり、イスラエルの国を再興して欲しいと願っていた。そして「自分を捨てて、自分の十字架を背負って従って来なさい。また、イエス様のために福音のために命を失う者は救われる」と、言われた。弟子たちや群衆にとって到底できないことを言われたように思える。


続けて「自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」それは、サタンの支配から神に立ち帰らせるためには、身代金を支払わないと自分の命を買い戻すことができないということ。使徒言行録26:18にあるように、すぺての人々の目を開かれて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、そして、罪の赦しを得させ、聖なる者とされ、共に神様からの恵みの分け前にあずかるようになるためには、身代金を支払わなければ、自分の命を買い戻すことができないと考えられていた。


「身代金」とは、奴隷や囚人などを解放してもらうために支払う代金を意味するが、身代金とは、買い戻すための代金であり、ヘブライ語では「買い戻す」という言葉は「贖う」と同じ言葉で表現されている。近親者の買い戻しの権利がある人は「贖い主」と呼ばれていた。新改訳聖書のルツ記2章20節では、ナオミはボアズのことを、「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある(贖い主)親類の一人です」と言っている。ルツ記の出来事は3000年以上前と考えられるが、「贖い主」の考え方は紀元前250年前後から浸透していると考えられる。


イエス様の時代の人々には、贖い主、つまり身代金を支払って買い戻してくださるお方という概念は浸透していたと考えられるので、自分の命を買い戻すために、自分ではどんな代価も支払えないので、どなたかに支払ってもらわなければならない。自分の命を買い戻すために身代金を支払ってくださるのが、イエス様であると理解していたので、弟子たちはイエス様に従っていけた。神様は身代金を支払ってまでも、ましてや大切な一人息子のイエス様の命を犠牲にしてまでも私たちの罪を赦し、聖なる者とし、神様からの恵みにあずかるようにしてくださったことに感謝を深めて信仰生活を歩みたい。




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