聖書交読 マタイ22章34~40節(新約p44)
司) 22:34 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
会) 22:35 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
司) 22:36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
会) 22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
司) 22:38 これが最も重要な第一の掟である。
会) 22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
全) 22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
聖書朗読 出エジプト20章1~17節(旧約p126)
20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
20:13 殺してはならない。
20:14 姦淫してはならない。
20:15 盗んではならない。
20:16 隣人に関して偽証してはならない。
20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
☆本日は馬渕主事の説教の要約を掲載します。
説教 「十戒:律法と約束」
<本日の説教より>
今朝のテーマである十戒については、多くの方々が既に聞いておられるかもしれません。旧約聖書において根幹となる律法です。ではそこで言われている内容は、現代に生きる私たちにとって実際にはどのような意味をもっているのでしょうか。
律法とは、倫理的な規範です。私たちは、神が私たちすべての人々に最も大切な規範を与えたものとして十戒を捉えます。しかし、聖書をよく読むと、十戒が伝えられる前に、神は人々と契約を交わしておられるのです。旧約聖書においては、幾つかの契約が人々に与えられましたが、ここでのシナイ契約と呼ばれるものが最も重要だと言われます。そして、契約と規範との間には関係があります。契約が大切なのです。まず契約があって、規範である律法が神から与えられるのです。契約は、神と人間との間に信頼関係があることを保障する約束です。よく私たちは、倫理規範としての律法を守らなければ、神との関係は崩れ、滅びの道に陥ることになると考えるのですが、それは神との関係の間違った理解です。そうした考え方を、主イエスは「律法主義」として、新約の時代に戒め、正されました。
さらに十戒は、この世にある多くの倫理規範とは異なる内容をもっています。一般的に倫理は「あなたの隣人を自らのように愛しなさい」というような社会的な理念として捉えられますが、如何でしょうか。私たちは、本当に自ら、人を愛することが出来るでしょうか。十戒の大切なポイントは、その前半で、まず神と私たちの関係について述べていることです。そこには、神が私たちを愛しておられるという真理が前提として語られます。その神との縦の関係がある故に、私たちは社会的な横の人間関係において、規範に順ずることができる訳です。このように考えてくると、十戒は、私たちがとにかく守らねばならない大切な戒めであるという理解とは、かなり異なる十戒の受け取り方ができるのではないでしょうか。
報告
・本日は馬渕主事の説教です。橘内師は東鳴尾ルーテル教会の「聖書月間」のゲスト説教者としての奉仕です。
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