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執筆者の写真明裕 橘内

2024年1月28日 顕現後第四主日


聖書交読  詩編111編(旧約p953)

司)1:ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる/正しい人々の集い、会衆の中で。

会)2:主の御業は大きく/それを愛する人は皆、それを尋ね求める。

司)3:主の成し遂げられることは栄え輝き/恵みの御業は永遠に続く。

会)4:主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み

司)5:主を畏れる人に糧を与え/契約をとこしえに御心に留め

会)6:御業の力を御自分の民に示し/諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。

司)7:御手の業はまことの裁き/主の命令はすべて真実

会)8:世々限りなく堅固に/まことをもって、まっすぐに行われる。

司)9:主は御自分の民に贖いを送り/契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。

全)10:主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。



聖書朗読 詩編90編1~12節(旧約p929)

1:【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。

2:山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。

3:あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。

4:千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。

5:あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。

6:朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。

7:あなたの怒りにわたしたちは絶え入り/あなたの憤りに恐れます。

8:あなたはわたしたちの罪を御前に/隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。

9:わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。

10:人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

11:御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて/あなたの憤りをも知ることでしょう。

12:生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。



本日の説教より(要約) 「生涯の日を数える」 馬渕仁主事


「人生の年月は七十年程、健やかな人でも八十年」と述べられる今朝の聖書の言葉は、驚くことに、現代の私たちの平均年齢を言い表しており、この言葉が旧約聖書の詩篇にあることを知らない多くの人によっても、引用されたりしています。また、「人は、草のように移ろい」、「人生はため息のように消えうせる」と続くところでは、私たちの一生は誠に儚いものであると述べているようにも理解できます。平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」という無常観に親しんでいる多くの日本の人々には、この箇所こそ、束の間の人生への聖書からの説きあかしと捉えて、それ故にこそ「生涯の日を正しく数えるように教えてください」という12節のみ言葉に、なにか自然な納得感すら覚えるわけです。


しかし、ここで詩篇の作者が伝えたかったことは、そのような無常観に基づいた「人の生」への達観のようなものだったのでしょうか。この詩篇は、冒頭から「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」として、私たちの造り主である主への全面的な信頼、賛美でもって始められています。そして、12節の「知恵ある心を得ることができますように」の直前の11節では、「あなたを畏れ敬うにつれて」と述べられ、「主を畏れること」によって、「生涯の日を正しく数えられる知恵ある心を得させてください」と、神様への祈りでもって90篇の前半を締めくくっているのです。箴言の1章には、「主を畏れることは、知恵の初め」という有名な聖句があります。極めて人間的な「無常観」とはかなり異なる聖書のみ言葉を、私たちは丁寧に受け止めたいと願います。




報告

・本日は御影も園田も馬渕主事の説教です。橘内師は神学校後援会デーでコイノニア福音教会でのご奉仕です。午後に三浦綾子読書会があります。






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