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2024年12月29日 降誕節第一主日

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 2024年12月29日
  • 読了時間: 13分

聖書交読 詩編148編(旧約p988)

司) 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。

会) 148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。

司) 148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。

会) 148:4 天の天よ/天の上にある水よ主を賛美せよ。

司) 148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。

会) 148:6 主はそれらを世々限りなく立て/越ええない掟を与えられた。

司) 148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ

会) 148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ/御言葉を成し遂げる嵐よ

司) 148:9 山々よ、すべての丘よ/実を結ぶ木よ、杉の林よ

会) 148:10 野の獣よ、すべての家畜よ/地を這うものよ、翼ある鳥よ

司) 148:11 地上の王よ、諸国の民よ/君主よ、地上の支配者よ

会) 148:12 若者よ、おとめよ/老人よ、幼子よ。

司) 148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く/威光は天地に満ちている。

全) 148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。


聖書朗読 ルカ2章41~52節(新約p104)

 2:41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。

 2:42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。

 2:43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。

 2:44 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、

 2:45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

 2:46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。

 2:47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

 2:48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

 2:49 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

 2:50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

 2:51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。

 2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。


説教 「平安のうちにこの年を終える」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン


今年2024年も最後の主日礼拝の時となりました。何かと心配事の多い一年だったかもしれませんが、神様が今日まで導いてくださったことに感謝します。本日開かれているのは、イエス様が12歳の時、両親とともにエルサレムへ旅した時のエピソードが記された箇所です。もう一度、どんなことが書かれていたか、一緒に振り返ってまいりましょう。


ここで言われている両親は、もちろんイエス様の「地上での」両親です。マリアとヨセフのことです。彼らが、「過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」(41節)ということ。これはとても尊いことです。このような信仰深さこそが、彼らが救い主イエス様の地上での両親に選ばれた理由のひとつであったことでしょう。ナザレからエルサレムまでは百数十キロの距離があり、交通機関としては徒歩かロバに乗って、ということだったと言われますから、たいへんな旅だったわけです。思い返してみると、今日開いているところの少し前、ルカの2章の24節によると、イエス様が生まれた後、神殿で主に献げられるときのいけにえは、「山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽」だったと記されています。これは貧しい家庭の場合のいけにえでした。そのことから、イエス様の家庭はあまり豊かではなかったことが想像されます。そのような中で、過越しの祭りの巡礼を毎年行っていたわけですから、それは簡単なことではありませんでした。だからこそ、彼らの信仰の熱心さがうかがわれるのです。


続く42節から、イエス様が12歳になった時の巡礼の様子が描かれます。「都に上った」というのは、いわゆる「上京」というのと同じ意味合いもありますが、実際にエルサレムが山の上にありましたので、上り坂を上って行った、という意味もあったことと思います。この時も、困難を冒してでもイエス様のご一家は巡礼の旅をしたのです。


このことは、私たちの人生に対するひとつの大きな教えです。私たちの人生も、この世にあっては巡礼の旅のようです。巡礼という言葉に違和感があったら、寄留者として、旅人としてこの世の歩みを続けていく、と言い換えてもいいでしょう。それは楽な道ばかりではありません。苦しい上り坂もあれば、膝に負担がかかる下り坂もあるのです。また、私たちがしばしば、普段の生活と異なり、旅の途上で不便さを感じるように、人生の旅においても、しばしば不便を感じます。人生に何かしらの生きにくさといったものを感じるとしたら、それは旅特有の不便さを味わっていることなのかもしれません。


イエス様の両親は、困難であっても、上り坂があっても、時が来れば、祭りの慣習に従って巡礼の旅に出ました。そこには、行きたいとか行きたくないとか、そういった「気分」というものは関係ありませんでした。今あまりにも、世間で「楽しい」ということが強調され、何でもかんでも「楽しむ」ということがもてはやされる時代には、この巡礼の姿は少し変わったものに見えるかもしれません。しかし、楽しいかどうかに関係なく、必要だから、それが大事だから、という動機があってもいいのではないでしょうか。それによって、イエス様の家族は巡礼の旅に出たのです。私たちも、礼拝に集うということが、気分に左右されてはならないはずです。楽しいかどうかではないのです。私たちも慣習に従って、主の前に出ることが大事だから、礼拝に集まるのです。


この時のイエス様の年齢、12歳に何か深い意味があるでしょうか。まだこの頃は、のちに行われるようになるユダヤにおける成人式、バル・ミツヴァは行われてはいませんでした。男の子なら13歳、女の子なら12歳になると行われるバル・ミツヴァは、キリスト教の堅信礼の影響を受けて、中世に始まった儀式と言われます。しかし、わざわざイエス様が12歳であると記しているのにも意味がないとは思われません。聖書において12は重要な数字です。ヤコブの12人の息子たち、またそれに基づく12部族。この「12」は、イスラエルにおいて、「完全」であるとか、「完結」を意味すると言われます。もしこの年齢辺りで成人するとして、その意味するところは、自分の責任で神様の前に出て、礼拝することができるようになる、というものだったとも言われます。これは、今回のイエス様の不思議な行動の謎を解き明かす鍵にもなります。


そのイエス様の不思議な行動が、続く43節に記されています。「祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった」(43節)とあります。このようなことも、巡礼の大混雑の中では起こりえたのでしょう。「祭りの期間」とは、約1週間でした。ちなみに季節は、太陽暦の4月に当たります。


ここでイエス様が「少年イエス」と言い換えられていることにも注目しておきましょう。もはやイエス様は「幼子」(おさなご)ではありません。自分で物事を考え、自分の意志で行動できる年齢になったのです。だから、イエス様は何かアクシデントで、エルサレムに残されたのではありません。ご自分の意志で、エルサレムに残られたのです。


そのあと、イエス様の地上での両親はイエス様を捜し回り、見つけた後には「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(48節)とマリアはその胸の内を告白しています。これは、イエス様がどなたであるかを理解していないことからくる心配でした。


彼らはイエス様が一緒におられるものとばかり思って、一日分の道のりを行ってしまったとありますが、これはだいたい30~35キロぐらいの距離だったと思われます。エルサレムからナザレまでが120キロぐらいだったとすると、だいたい4日の道のりだったことになります。だから、イエス様がご自分の意志でエルサレムに残られているのを知らないまま、巡礼の道のりの四分の一を進んでしまった、ということなのです。そうなるまで気づかなかったのか、とも思いますが、先ほど申し上げました通り、巡礼の集団の大混雑の中では、致し方なかったのでしょう。44節に「イエスが道連れの中にいるものと思い、」とありますが、家族や親族で連れ立ってエルサレムに向かい、また帰っていく大集団が、祭りの時期に集中したものと思われます。


45節によると、「見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した」とありますから、イエス様の両親は、また一日かけて、ずっと心配しながら、イエス様を捜して三十数キロの道のりを恐らく歩いたのだと思います。彼らは、ユダヤにおいてもうほぼ成人とも目されるような少年イエス様が、しっかりとご自分の意志で、エルサレムに残られたなどと、夢にも思っていません。てっきり迷子になり、どこかで困っているのだろう、と思っていたはずです。その捜している間のイエス様の両親の思いたるや、いかばかりだったでしょう。今のように、交番に行って、迷子を捜してもらう、などということがない世界です。新聞やテレビ、ラジオで訴えるわけにもいきません。情報も、今ほどにはすぐ入ってこない時代です。何ともじりじりするような思いで、捜していたことと思います。


そんな時、46節で「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた」と報告されるときの「三日の後」というのは、まさにイエス様の復活のことを思わせます。クリスマスに私たちのもとに来てくださった救い主イエス様は、十字架から三日後に復活なさいました。私たちの罪をすべて背負って十字架にかかられ、今後は私たちをすっかり赦して義と認めるために、復活なさったのです。両親の目から離れ、見えなくなり、もういなくなってしまったかと思われたイエス様が、三日後に再び両親の前に姿を見せる。まさにそれは、彼らにとって復活にも等しい出来事でした。


ところが、どんなに胸の熱くなる、涙と感動の再会の時になるかと思えば、イエス様の言葉は意外にドライです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。この49節の言葉を聞くと、いくら真実を告げるにしても、こういう言い方はどうなのだろう、と思ってしまいます。もしわが子にこのように言われたら、冷たい、と思うのではないでしょうか。イエス様の両親にしたら、「こんなに心配したのに!」となるのも無理はありません。


それでも、イエス様が「自分の父の家にいるのは当たり前だ」(49節)ということを知っていたら、心に平安を持つことができたはずです。ここでイエス様は、神殿のことを「自分の父の家」と言い換えています。これは、のちに神殿で商売している人々を追い出すときに、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2章16節)とおっしゃったことと共通しています。神殿にその栄光を現わされる神様のことを、「自分の父」と呼ばれたわけです。ここから、もし神様を「父なる神様」と呼ぶなら、それはまずは「私たちの父」というよりは、「イエス様の父である神様」、ということになろうかと思います。そして、その方が、私たちの父ともなってくださる、ということです。イエス様のおっしゃる通り、神様がイエス様の父であるなら、その方がお姿を現される家、すなわち神殿にイエス様がおられることは、まことに「当たり前」ということになります。この「当たり前」ですが、原文にあるわけではありません。この部分は、「わたしが自分の父の家にいなければならないことを、知らなかったのですか」と訳すことができます。「自分の父の家にいなければならない」というのを、新共同訳は「自分の父の家にいるのは当たり前」と解釈したわけです。


私たちももしかすると、この2024年、イエス様のことを本当に理解していたらしなかったような心配を、心に抱えていたのかもしれません。確かに、地震や夏の酷暑をはじめとした天変地異や、高騰し続ける物価、止まない戦争の知らせで心騒がせることは仕方がないような一年ではありました。イエス様を心に信じているつもりではありますが、今自分たちが見ている現実の中に、イエス様を見出しにくい、ということは否定できないことだと思います。それで私たちは、イエス様の両親と同じように、「心配して捜していたのです」と、イエス様を捜してしまうのです。


ですから、基本的に、私たちもイエス様の両親と変わるところはありません。50節に「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」とありますが、まことにこの御言葉の通りで、イエス様から「何を心配しているのですか。わたしはわたしの父の家にいるのです」と言われても、恐らく私たちも「それはどういう意味ですか?」と尋ねてしまうと思うのです。


しかし、だからと言って、私たちは心騒がせたまま、心配したままこの一年を終えるのではありません。私たちは、イエス様が地上の両親を見捨てることなく、「一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」ということを、御言葉によって知らされます。皆さん、どうでしょう。これは何とも麗しい姿ではないでしょうか。先ほど、あれだけはっきりと、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前」と断言したイエス様。だったらそれを貫いて、「もう地上の両親には用はない」と言って、神殿に残るのかと思うと、そうではないのです。イエス様は地上の両親に、ご自分の御言葉を理解していなくとも、寄り添うのです。


そして、ナザレに「帰った」。皆さん、この意味がお分かりになるでしょうか。ちょっと考えてみましょう。イエス様は、ご自分の父の家に「帰った」のです。だから、本来であれば、ナザレに「行く」のです。それなのに、敢えて「ナザレに帰った」と表現されるのを許される。ここに、深く地上の両親を思われるイエス様の優しさがあります。そして、イエス様は両親に仕えてお暮しになりました。私たち、フェローシップ・ディコンリー、すなわち「交わりと奉仕」を旨とする流れに属する者にとっては、このイエス様の仕える姿こそ重要です。そして、そればかりか、何とイエス様が、私たちにも仕えてくださる、という奇跡を体験します。聖餐式において、ご自分のお体と血を差し出してくださることに、私たちはイエス様が私たちに仕えてくださる、という恵みを見出すのです。


そのように、イエス様が父なる神様の御心によって、私たちと共にいて、私たちに仕えてくださることを知る時に、私たちは平安のうちに、この年を終えることができるのです。


お祈りしましょう。

天の父なる神様。

今朝私たちは、今年最後の主日礼拝を迎えました。その中で、あなたが御言葉によってご自身を示してくださり、クリスマスにこの世に来てくださったひとり子イエス様の深い真理を教えてくださり、感謝します。私たちはたいへん困難な一年を過ごしてまいりました。その中で、ふとイエス様を見失い、心配しながらイエス様を捜す、ということもあったかと思います。そのような私たちでも、イエス様は共にいて、仕えてくださり、平安にこの年を終えることができるようにしてくださる恵みに感謝します。来る新しい年、2025年にも、あなたの恵みと平安が満ち溢れますように。この一年の感謝を胸に、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン


報告

・先週は御影、園田でクリスマス礼拝でした。また、24日火曜日午後7時からは御影でクリスマスイブ燭火礼拝があり、いずれも多くの方々が集われ、感謝でした。








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