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執筆者の写真明裕 橘内

2023年12月10日 待降節第二主日


交読文 イザヤ40章1~11節(旧約p1123)

司)1:慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。

会)2:エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。

司)3:呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

会)4:谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

司)5:主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。

会)6:呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。

司)7:草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。

会)8:草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

司)9:高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神

会)10:見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。

全)11:主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。


聖書朗読 マルコ1章1~8節(新約p61)

1:神の子イエス・キリストの福音の初め。

2:預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。

3:荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、

4:洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

5:ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

6:ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

7:彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。

8:わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」


本日は橘内玲子牧師の説教です。説教の要旨を掲載します。


説教 「キリストの福音の前に」


キリストの福音の初めにおいては、旧約聖書からの預言が成し遂げられているかが、重要でした。マラキ書やイザヤ書を通して預言されてきたとおりに、洗礼者ヨハネはキリストの福音の前に準備のために遣わされました。エリヤを思い起こさせる姿で、人々に罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を授けました。ヨハネは「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と、イエス様への道を指し示しました。


また、ヨハネは図らずとも、イエス様にとって大切な出来事である、誕生(ヨハネのお母さんがイエス様のお母様に励ましを与えた)、洗礼(悔い改めの洗礼によって)、宣教(ヨハネの投獄の後に宣教を始められた)の前に、準備をしたとも考えられます。


それでは、最後に、イエス様は洗礼者ヨハネをどのように見ておられたのでしょうか。イエス様は「ヨハネは預言者以上の者であり(マタイによる福音書11:9)、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」(11)と群衆に語られました。また、「洗礼者ヨハネは現れるはずのエリヤである」(14)と、ヨハネの存在を理解しておられました。それはヨハネが投獄され、迷いの中にあり、イエス様に尋ね求めた時に語られました。このみことばを通して、イエス様への奉仕を覚えていてくださり、理解してくださり、ほめてくださるイエス様のお姿を見ることができます。私たちも迷いや試練の時にこそ、ヨハネのように、イエス様の語りかけに、すなわち聖書の言葉に耳を傾ける者でありたいものです。



【報告】

・来週はアドベントスペシャルで、礼拝の中でスコラカントルム神戸の皆さんが、『メサイア』の抜粋を賛美してくださいます。是非お越しください。

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