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執筆者の写真明裕 橘内

2022年9月25日 聖霊降臨後第16主日礼拝

更新日:2022年9月25日

【聖書交読】詩編146編(旧約p986)

司)1:ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。

会)2:命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。

司)3:君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。

会)4:霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。

司)5:いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人

会)6:天地を造り/海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は

司)7:虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち

会)8:主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し

司)9:主は寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。

全)10:主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。


【聖書朗読】ルカ16章19〜31節(新約p141)

19:「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

20:この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、

21:その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。

22:やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

23:そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。

24:そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』

25:しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。

26:そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』

27:金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。

28:わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

29:しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』

30:金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』

31:アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」




「御言葉そのものが語りかける」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン


長引くウクライナへのロシアによる軍事侵攻。いよいよ焦りを見せるロシアは予備役から部分的動員をしなければならない、その規模は最初に報道された30万人どころか、最終的には100万人規模になるかもしれない、というところまできています。ウクライナ、ロシア双方に多くの犠牲者が出ている今、遠くにあると思っていたいのちの終わり、死というものが、少しずつ 少しずつ身近な話題として私たちの近くへと迫ってきています。


いのちの始まり、誕生があれば、その終りもある、とどこかで了解はしているものの、日本においてはとかく死というものはタブーということで触れられることなく、語られることもない。何となく「死んだら無になるのだろう」という感覚だけで、深く追求することなく、そこにまた、「でも、また何かに生まれ変わるのだろうか。もしそうだったら、出来たらまた人間に生まれたい」などと、輪廻転生の思想の影響もあったりして、なかなか死生観のようには確立していかない。これが日常の感覚かもしれません。


そのような中でこの福音書の箇所を読むと、死後どうなるか、ということについて、ある程度の見解を示していると受け止めることも出来ます。ここに記されている物語は、イエス様が語られたたとえ話と理解することが出来ますが、人が地上でのいのちを終えたあとのことを語っており、そこで人間は無になってしまうのでも、何か別の存在に生まれ変わるのでもなく、ものを考え、語る存在として描かれています。


物語は、2人の登場人物がまだ存命中だった頃のことから始まっています。2人の登場人物とは、金持ちとラザロの二人です。ラザロは貧しかった。その価値観では、金持ちの方が大事にされるのでしょうが、聖書は異なります。この金持ちには名前がない。貧しい男はラザロという名であったということが明らかにされています。あたかも彼のほうが神様に大事にされているかのようです。


ラザロは地上では貧しく、屈辱の日々を過ごしていましたが、地上を去ってからは、アブラハムのすぐそばにいます。これは、慰めに満ちた、良い知らせ、まさに福音です。彼は地上での歩みにおいては人生の収支がマイナス、赤字でした。それを改善すること能わず、彼はただ自分の前に敷かれたレールの上を進んで、死を迎えます。そうしますと、天使たちが、彼を死後の世界における宴席において、アブラハムのすぐそばへと連れて行ったのです。これで彼はすっかり報われました。人生の精算において、あっという間にプラスに転じたのです。


私たちは、このような慰めを、福音書のことばから、すなわち御言葉から受けます。私たちの鋭敏な宗教感覚ではありません。その意味では、御言葉そのものが語りかけてきて、私たちにこのような慰めを語っている、と理解することも出来ます。


それに対し、名もなき金持ちは、自分が名のある、一角の人物として丁重に扱われているのではなく、匿名の存在として扱われているに過ぎないことに気づき、愕然としたのではないでしょうか。金持ちとラザロの関係は一転し、金持ちだった男のほうが、燃え盛る炎の中で暑さに身を悶えさせることになります。


その苦しみの中で、自分の家族がこのような場所に来ることがあってはならない、と他者のことを考えたのは評価できるポイントです。彼が新しく存在するようになった陰府の世界にで主であるように存在するアブラハムに、彼は家族がここに来ないようにと願うその気持を伝えるのです。


決して多いとは言えない日本のクリスチャンの数を憂い、「日本で大勢が信じるためには、何か目を見張るような大きな奇跡がなければならない」と聞くことがありますが、そのことに関して一石を投じるのが本日の聖書箇所でしょう。生きている間は楽しみ、死後に苦しみを受ける名もない金持ちは、この苦しみの場に家族が来ることのないよう、貧しかったラザロを遣わすことを願います。ただ、自分で何とかしようとするのではなく、人を使うというのが、この金持ちだった男の心の貧しさを示しているかのようです。


しかし、陰府の世界にいるアブラハムは、「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」と突っぱねます。ここに表れているのは、奇跡よりも御言葉、ということです。モーセと預言者、すなわち今で言う旧約聖書の御言葉に聞く者でなければ、どんな目覚ましい奇跡も、何の役にも立たない、ということです。


現代に限らず、どの時代にあっても、大事なのは御言葉です。もし誰かがイエス様による救いに至る信仰に導かれるとしたら、それはひとえに御言葉によることです。御言葉そのものが語りかけ、人を救いへと導くのです。そのような重大な真理を、御言葉を通して、私たちは教えられます。誰一人、自分の知恵でそれを悟る者はありません。御言葉そのものが私たちに語りかけてきて、私たちはそれを耳を開いて、そして心を開いて聞いて、そして悟るように導かれるのです。



お祈りいたします。

いのちの主である神様、

今朝こぞって私たちは、

あなたの御名を賛美します。

今朝も目覚めの時を与えてくださり、

このように御言葉そのものから語りかけてくださり、

感謝いたします。

たとえ私たちがこの人生において生きにくさを感じ、

一回限りの人生なのにこんなに実り少ないものかと嘆いても、

そのような、地上においてマイナスと思われる部分を、

あなたは憐れみをもってご覧下さり、

やがてのちの世においては、

私たちの目から涙を拭い取り、

輝かしい復活の朝を与えてくださって、

制約多き地上の肉体を離れ、

神様に向かって飛びような自由を与えてくださる。

そのようにして私たちを慰めてくださること、

感謝いたします。

天国における精算の時、マイナスがプラスに転じる時を仰ぎ望み、

希望を持って生きていくことが出来ますように。

イエス様のお名前によってお祈りします。

アーメン



【報告】

・先週の説教は元西日本福音ルーテル教会牧師、池上安先生でした。

・先週の昼食はすこやか感謝会として、交わりのときも持つことが出来ました。

・夏期献金はまだ予算の60万円に達しておりません。引き続き満たされるようお祈りください。







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