【聖書交読】詩編113編(旧約p954)
司)1:ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ/主の御名を賛美せよ。
会)2:今よりとこしえに/主の御名がたたえられるように。
司)3:日の昇るところから日の沈むところまで/主の御名が賛美されるように。
会)4:主はすべての国を超えて高くいまし/主の栄光は天を超えて輝く。
司)5:わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き
会)6:なお、低く下って天と地を御覧になる。
司)7:弱い者を塵の中から起こし/乏しい者を芥の中から高く上げ
会)8:自由な人々の列に/民の自由な人々の列に返してくださる。
全)9:子のない女を家に返し/子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。
【聖書朗読】ルカ16章1〜13節(新約p140)
1:イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。
2:そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』
3:管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。
4:そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』
5:そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。
6:『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』
7:また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』
8:主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。
9:そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
10:ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
11:だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
12:また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。
13:どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
「全地よ 賛美せよ」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
本日は、10時半からの礼拝が元西日本福音ルーテル教会牧師の池上先生による説教で、聖書朗読の箇所の福音書から語られますので、この第一礼拝は、交読文の箇所である詩編から、お話させていただきます。
“日の昇るところから日の沈むところまで
主の御名が賛美されるように。“(詩編113編3節)
「日の昇るところから日の沈むところまで」と言うのですから、東から西まで、ということであり、延いてはこれで「全世界」を意味しています。全世界で、主の御名が賛美されるように、ということです。
「主が賛美されるように」ではなく「主の御名が」と言われているのは、そのような間接的な表現によって、より敬意を表す、ということもありますし、「名は体を表す」にあるように、主である方の本質、その豊かなご性質全てが賛美の対象となるように、との願いもあったことでしょう。
「賛美される」には、この詩編冒頭の「ハレルヤ」のもととなる言葉が使われています。「賛美されるように」という願いによって期待されていたのは、主の御名が全世界で輝き渡り、多くの人々がそれを見て誇らしく胸を張ることでした。それは主の良いうわさが広まり、名声が高まることで実現していきます。私たちも堂々と主なる神様のなさった恵み深いみわざを宣べ伝えていきたいものです。
しかし、考えてみますと、賛美の主体となるべき全世界は、今どんな状態でしょうか。ロシアによるウクライナ侵攻は解決の糸口を見いだせず、記録的な円安を含め景気の問題は世界規模のものとなっており、国内においては元首相の国葬儀のことでは意見の一致を見ることなく、積年の北方領土の問題も、拉致問題も解決を見てはおりません。今近づいている台風も破壊的な影響力を秘めて刻々と私たちのもとに近づいてきています。このような世界のどこに、主の栄光が輝き渡っており、誰がそれを見て賛美しようと思っているでしょうか。
現実を見渡すと、そのように私たちは失望するだけです。しかし、
”主はすべての国を超えて高くいまし/主の栄光は天を超えて輝く”(4節)
と言われていますように、主なる神様はそのような現実をすべて超えておられる方です。世の現実がどうあれ、それにその輝きが埋没してしまうような方ではありません。しかも、そのような方がわざわざ「低く下って天と地を御覧になる」(6節)のならば、そのように私たちのレベルに合わせて、低いところまで降りてきてくださることに感動して、賛美の声が自ずと湧き上がってくることでしょう。世の現実に目を留めて失望するのではなく、主を見つめて、賛美の生活を続けていきたいものです。
お祈りいたします。
私たちを遥かに超えた高みにおられる主なる神様、
今朝私たちはあなたの御前に出て、御名を賛美します。
今朝もこのようにみことばのときをありがとうございます。
混迷する地上の現実を超越して、
あなたの偉大なる御名はその御威光を輝かせています。
私たちはそのことに目を留め、
世の現実に惑わされることなく、
一心にあなたを賛美して歩めますように。
イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
【報告】
・本日の説教は元西日本福音ルーテル教会牧師、池上安先生です。第一礼拝の説教は橘内師で、皆さんにはそちらを配布します。
・本日昼食時にすこやか感謝会を開催します。
・夏期献金はまだ予算の60万円に達しておりません。引き続き満たされるようお祈りください。
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