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執筆者の写真明裕 橘内

2022年5月22日 復活節第六主日礼拝

2022年5月22日 復活節第六主日礼拝


【黙祷】皆さんおはようございます。それでは礼拝に先立ち、しばらく黙祷の時といたしましょう。


只今より、2022年5月22日、復活節第六主日の礼拝を始めます。


【讃美歌】 6番      起立

1

われら主をたたえまし、

    きよき御名あがめばや、

    くる日ごとにほめうたわん、

    神にまし王にます

    主のみいつたぐいなし


  2 世は世へとうたいつぎ、

    よろこびとおそれもて

    主のくしきわざをつげ、

    みさかえをほめたたう。


  3 めぐみはかぎりなく

    主にたよる子らにあり、

    みいかりをしのびつつ、

    あわれみをたれたもう

    主を愛し、主につかえん。

アーメン


交読文 聖書交読  詩編67編 (旧約p899) 

セラは読みません

司)1節 【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。】

会)2節 神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように

司)3節 あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。

会)4節 神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。

司)5節 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように/あなたがすべての民を公平に裁き/この地において諸国の民を導かれることを。〔セラ

会)6節 神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。

司)7節 大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が/わたしたちを祝福してくださいますように。

全)8節 神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで/すべてのものが神を畏れ敬いますように。




【祈祷】 (一例。実際の礼拝では、司会者が自由祈祷)

天の神様。この朝をありがとうございます。

あなたの恵みの御手の中で先週一週間を過ごし、

このように主の日にまた集まって、

あなたを礼拝することができてありがとうございます。


この礼拝で永遠の神のことばを聞く方々おひとりおひとりに、

導きと祝福をお与えください。

また、礼拝で奉仕する人々を祝福してくださり、

聖霊なる神のご臨在の中で、奉仕が全うできますように。


新型コロナウイルスも感染拡大が収まってきているようで感謝です。

これからも安心安全の中で礼拝が続けられるためにも、

感染再拡大がありませんように助けてください。

また、ロシアがウクライナに軍事侵攻していくことで、

今までのつながりが分断されて、

孤独と恐怖の中におられる方もあるでしょう。

このような日々、福音によって慰めと励ましがありますように。

どうか主の教会を守ってくださり、

それぞれの地での礼拝を祝福してください。

この礼拝の初めから終わりまで、あなたのみ手にゆだねます。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。



【讃美歌】  148番 起立

1 すくいのぬしは ハレルヤ

よみがえりたもう ハレルヤ

かちどきあげて ハレルヤ

み名をたたえよ ハレルヤ

十字架をしのび ハレルヤ

死にて死にかち ハレルヤ

生きていのちを ハレルヤ

ひとにぞたまう ハレルヤ

主の死によりて ハレルヤ

すくいはなりぬ ハレルヤ

あまつつかいと ハレルヤ

ともにぞうたわん ハレルヤ

アーメン



【信仰告白】 使徒信条 起立

われは、天地のつくりぬし、父なる全能の神を信ず。

われは、そのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受うけ、十字架につけられ、死して葬られ、よみにくだり、

三日目によみがえり、天にのぼり、父なる全能の神の右に座したまえり。

生ける人と死にたる人とをさばかんがため、かしこより再び来たりたまわん。

われは聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、

罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。

ア-メン。



聖書朗読 ヨハネ14章23~29節(新約p195)

23:イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

24:わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

25:わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。

26:しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

27:わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

28:『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。

29:事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。



礼拝説教 「イエス様が残していかれたのは」 橘内明裕師



私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン



ウクライナのゼレンスキー大統領が、「民間人を攻撃するロシアは絶対的な悪」と抗議していることが報道されていました。今この両国の間に平和はなく、大統領の心にも、平和がない状況、と言えるでしょう。そのような中で平和を語るのは簡単なことではありませんが、心騒ぐ時だからこそ、イエス様の平和のメッセージを聞いていきましょう。



イエス様が弟子たちに、そして世に残していかれたのは「平和」です(27節)。これは、イエス様と弟子たち、あるいはイエス様と私の間が平らかである、という意味です。また、この平和は、今日お読みいただいた箇所の23節から26節までに書かれていることを通して与えられます。私たちは、イエス様の言葉を守ることで、イエス様を愛していることを表わします。そして、それによって父なる神様とイエス様が親しく訪れて下さるとイエス様から聞いた。そしてそのことばを、聖霊がいつも思い起こさせて下さる。これが、イエス様の残された平和の鍵となります。


この平和について、一緒にもう少し深めてまいりましょう。平和とは具体的には、第一に「高低や起伏がない」、ということであり、イエス様との関係において妨げがない、あるいはイエス様とのつながりづくりが出来ている、という様子を指すと思われます。イエス様とのつながりが最重要事項、ということになります。


このつながりは、イエス様の「言葉」によって実現します。25節には「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した」と記されています。「これらのこと」は、もう一度確認ですが、先ほどお話ししました「私たちは、イエス様の言葉を守ることで、イエス様を愛していることを表わし、それによって父なる神様とイエス様が親しく訪れて下さる」ということで、23,24節の内容です。私たちはイエス様を愛する。しかもそれは「イエス様の言葉を守る」というように、たいへん具体的な行動として私たちの目の前に置かれます。「私たちはいかにしてイエス様を愛することが出来るか」などといった問いを発する必要はないし、その余地すらないのです。


第二に、イエス様との間が平らかであるというのは、「落ち着いて静かなさま」である、ということです。心穏やかで、ざわざわしていないのです。それは「落ち着いて信じる」信仰の姿であり、「落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ書30:15後半、新改訳)という昨年の御言葉に基づく信仰でもあります。先ほどウクライナ情勢について触れましたが、とかく今心がざわつく要素が多く世の中に溢れています。その中でも、落ち着いて信じるのです。また、静かであることも重要で、詩編には「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩編46編10節口語訳)との一節があり、静かであることと信仰には関係があることが示されています。確かに、周りがパニックのようになっていても、信じている人というのは落ち着いて静かである、そのようなイメージがあるのではないでしょうか。


そして第三に、これは最も重要ですが、このイエス様によって将来に関して御国の約束をしっかりいただいている、だからすでに今もあたかも御国に生きるかのように、自分のいのちに関して心配せずに歩むことが出来る、このことが、イエス様との間が平和である、ということに関して覚えておくべきことだと思います。イエス様は、私たちの罪のために死に渡され、私たちを義と認めるために、よみがえって下さいました。これは、もう何のやましいこともなく、神様の前に堂々と立つことが出来る、ということです。ここに、神様と私たちの間の究極的な平和が実現しています。その私たちに、将来の御国が約束されていることは、私たちがもう自分のいのちについては心配しない、あとは他者に目が開かれて、他者のために生きる、そのいのちのために祈り、働き、配慮する生き方に入る、ということを意味します。もしかして、私たちが今、自分たちも実際はいろいろなことを抱えていても、なおウクライナのことを思ったり、コロナで苦しんでいる方々のことを思ったりできるのは、自分の命を何とかしなければ、という鎖から解かれ、自由な心で、他者を思いやることができるからなのです。


このように、私たちに平和を残して下さるイエス様ですが、普通に考えれば、イエス様ご自身が一番平和を持ちにくかったのではないかとも思ってしまいます。今日開いていますこのヨハネによる福音書の14章ですが、その始まりには、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(1節)とのみことばがあります。そして繰り返し、27節で「心を騒がせるな。おびえるな」と言われています。ですが、それまでイエス様も心騒がせておられることがわかります。イエス様は十字架を前に、12章 27節では「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ」と告げ、また13章 21節では「イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている』」とおっしゃっておられるのです。その時のイエス様の切迫した心境、十字架の重荷の重さを感じ取ることができます。そのような方が残して下さった平和だからこそ、貴重なのではないでしょうか。そしてそれによって、私たちは慰めを受け、促されて立ち上がることができるのです。 


ちなみに、最後に細かい話ですが、ここでイエス様が強調された平和ですけれども、この新共同訳のようにそれは「平和」であったのか、それとも別な翻訳、例えば新改訳のように、「平安」だったのか。これはどうなのでしょうか。日本語にはこの2つの言葉があるので、翻訳の時など苦労します。英語の”peace”を「平和」と訳すか、「平安」と訳すか、ということです。ほかには、英語の”life”を「いのち」と訳すか、「人生/生活」と訳すか、というのも悩みの種になります。それはさておき、この「平和/平安」の場合は、国と国の間のことで言うなら「平和」、個人の心の中のことで言えば「平安」、というのが、日本語としては一般的ではないでしょうか。ですから、冒頭で私が「ゼレンスキー大統領の心にも、平和がない」と申しましたのは、本来日本語として通りが良いのは「心に平安がない」という言い方の方だったかもしれません。これは日本語の問題ですが、今日のヨハネの福音書の箇所に関しては、「平和」の方が、包括的で、単に心の平安を越えた広がりがある、そんな気がして、このままでいいような気も致します。


さて、ウクライナとロシアの関係からわかる通り、なかなか実現しない「地には平和」との御言葉ですが、クリスマスによく聴く言葉だ、というだけでなく、もう少し注意して読んでみると、


「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ」

(ルカによる福音書 2章 14節)


とありまして、誰にでも、というよりは、「御心に適う人に」という限定があるようなのです。だから、最初から簡単に与えられるものとは想定されていなかった、というところがあったのではないでしょうか。なのであれば、この地に完全なる平和がないことはイエス様にとって織り込み済みのことなので、あまりそのことにかかり合っているよりは、まずできるところで、自分たちの身近なところでの「平和つくり」が出来れば、と願います。ご自身心騒ぐこともある中、貴重な平和を、イエス様はこの世に残していってくださいました。それによって私たちは「平和つくり」のわざに入っていくことができます。その平和、なかなか目には見えなくてもすでにイエス様がこの世に残しておられることを信じて、イエス様とのつながりをますます深めていきましょう。


お祈りいたします。


天の父なる神様、

あなたがイエス様を地上に遣わして下さり、

ご計画通り、十字架と復活という救いのみわざを成し遂げさせて下さり、

感謝いたします。

そのイエス様が、私たちに平和を残して下さりありがとうございます。

それによって私たちがこの世を平安をもって歩み、

他者の命について思いやり、

祈りつつ過ごすことが出来て感謝します。

今ウクライナで起こっていることを、

痛みをもって見つめているところです。

どうかそこに、あなたが御心に適う人々に与えようとしておられるその平和を、

今こそ与えて下さるようにお願いします。

そして今週も、この世界を、

「地には平和」とおっしゃるあなたの御言葉によって、

治めてください。

そのあなたの御言葉によるご支配のなかに生きつつも、

なおも思いがけないこと、想像もしないようなことを経験する私たちかもしれませんが、

そのような中でも、常に私たちを平安で覆っていて下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。

アーメン



【讃美歌】  257番 起立

1)十字架のうえに 屠られたまいし

こよなくきよき み神のこひつじ

わがため悩みを しのびたまいし

みめぐみげにも とうとし

2)

十字架のうえに 屠られたまいし

こよなくきよき み神のこひつじ

み救いあらずば 罪のこの身は

ほろびをいかで まぬがれん

3)

十字架のうえに 屠られたまいし

こよなくきよき み神のこひつじ

乏しくかよわき われをあわれみ

やすきをつねに たまえや

アーメン


【献金】 ご家庭で礼拝なさる方も、できる限り、それぞれ工夫して、ささげものをする時を持ちましょう。

(献金箱の代わりになるようなものを用意し、そこに献金し、教会に来れるようになった時、

それを持参する、など)

 

献金の感謝のお祈り (一例 実際の礼拝では、奉仕者が自由祈祷)

 憐れみ深い神よ。

   あなたは、私たちに恵みと愛のしるしとして、

   私たちの思いを越えた多くの賜物を日ごとに備えてくださいます。

   私たちは私たち自身と賜わったすべてのものを喜びと感謝をもってささげます。

   私たちのためにご自身をささげられた主イエス・キリストのゆえに、

   私たちのささげるすべてを受けいれてください。

   あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められる

   み子、主イエス・キリストによって祈ります。

    アーメン



【主の祈り】


天にまします、われらの父よ。

ねがわくは、御名(みな)をあがめさせたまえ。

御国(みくに)を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもならせたまえ。

われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日もあたえたまえ。

われらに罪をおかすものをわれらがゆるすごとく、

われらの罪をもゆるしたまえ。

われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン




【頌栄】 546番    起立

聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな 主なる神 昔いまし 今いまし 永久にいます 主をたたえん アーメン


【祝祷】

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。

   父と子と聖霊のみ名によって。アーメン


【後奏】  

 

【報告】

・今年の音楽発表会は父の日、6月19日午後1時からです。つながりづくりのために重要な集会ですので、祈って備えましょう。

・長引くウクライナ情勢ですが、そこに主の働きかけがあり、「地には平和」とのみことばが実現しますように。

・主の癒しと支えが必要な方々に主の尽きない憐れみと慈しみがありますよう、続けてお祈りいたしましょう。


皆様が感染から守られ、平安の内に毎日を送られますように




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