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執筆者の写真明裕 橘内

2022年4月3日 四旬節第五主日礼拝

更新日:2022年4月10日

 


【黙祷】皆さんおはようございます。それでは礼拝に先立ち、しばらく黙祷の時といたしましょう。


只今より、2022年4月3日、四旬節第五主日の礼拝を始めます。


【讃美歌】 10番      起立



交読文 イザヤ43章16~21節 (旧約p1131) 

(司会)16節 主はこう言われる。海の中に道を通し/恐るべき水の中に通路を開かれた方

(会衆)17節  戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し/彼らを倒して再び立つことを許さず/灯心のように消え去らせた方。

(司会)18節 初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。

(会衆)19節  見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。

(司会)20節 野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ/わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。

(全員)21節  わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。



【祈祷】 (一例。実際の礼拝では、司会者が自由祈祷)

天の神様。この朝をありがとうございます。

あなたの恵みの御手の中で先週一週間を過ごし、

このように主の日にまた集まって、

あなたを礼拝することができてありがとうございます。


この礼拝で永遠の神のことばを聞く方々おひとりおひとりに、

導きと祝福をお与えください。

また、礼拝で奉仕する人々を祝福してくださり、

聖霊なる神のご臨在の中で、奉仕が全うできますように。


千秋は蔓延防止等重点措置が解除されて最初の日曜日でした。

これからも安心安全の中で礼拝が続けられるためにも、

感染再拡大がありませんように助けてください。

また、先日東北地方で大きな地震が再び起きて、

今までのつながりが分断されて、

孤独の中におられる方もあるでしょう。

このような日々、福音によって慰めと励ましがありますように。

どうか主の教会を守ってくださり、

それぞれの地での礼拝を祝福してください。

この礼拝の初めから終わりまで、あなたのみ手にゆだねます。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。



【讃美歌】  134番 起立



【信仰告白】 使徒信条 起立

われは、天地のつくりぬし、父なる全能の神を信ず。

われは、そのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受うけ、十字架につけられ、死して葬られ、よみにくだり、

三日目によみがえり、天にのぼり、父なる全能の神の右に座したまえり。

生ける人と死にたる人とをさばかんがため、かしこより再び来たりたまわん。

われは聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、

罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。

ア-メン。



聖書朗読 ヨハネ12章1~8節(新約p191)

1:過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。

2:イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。

3:そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

4:弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。

5:「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

6:彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。

7:イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。

8:貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」




私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン


四旬節を共に過ごしているうちに、月は改まり4月に入りました。本日は4月最初の主の日です。蔓延防止等重点措置も解除されていますので、今日はほぼ前の通りの聖餐式となります。実に久しぶりのことになります。期待して待ち望みたいと思います。


さて、ご一緒に十字架に向かわれるイエス様のお姿を追っておりますが、イエス様は、近い将来ご自分の身に起こることを、先んじてご自分から行っておられます。何のことだと思われますか。それは、「よみがえり」です。十字架に向かわれるイエス様に待ち受けていること、それが十字架と復活であるとして、そのうち十字架は、さすがに事前に行うことは出来ません。しかし、復活の方は、イエス様が誰かをよみがえらせる、という形で、事前に実現可能だったのです。どちらかというと私たちの信仰はどうしても十字架優位というか、そういった側面がありますが、復活も非常に重要であった、ということがわかります。イエス様がご自分の復活に先んじて復活させて下さった人々の中に、ラザロと言う人物がおりました。彼はベタニアにいました。恐らく独特の存在感を持ってそこにいたと思います。


イエス様にとって、そのベタニアは特別な場所でした。十字架を前に、イエス様はそこに入って行かれます。イエス様にとって、というだけでなく、「そこにラザロがいて」、ベタニアはその頃、ほかの誰にとっても、特別な場所になっていました。このラザロは、先ほども触れましたが、病で亡くなったのにもかかわらず、イエス様がよみがえらせたあのラザロです。「ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた」(2節)とありますが、繰り返しになりますけれども、一種独特の雰囲気をまとって、そこにいたのではないでしょうか。何しろ、彼がそこにいるだけで、イエス様が彼を病と死の淵から確かによみがえらせてくださったことの証になったからです。


彼は何もせず、ただそこにいるという「存在感」が、雄弁にイエス様の栄光を物語っていました。イエス様は、ラザロのこの無言の奉仕、「存在感」において語る、ということを認め、喜んでおられたことでしょう。さすがに、このラザロの復活が、イエス様ものちに死からよみがえられる、ということを暗示するものだった、ということまでは誰もわかりませんでした。


一方、「純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった」(3節)マリアは行動的でしたが、存在感のみ、といった感じのラザロと、どちらが良い悪い、ということにならないように、イエス様は配慮しておられます。いずれにせよ、ラザロはイエス様の栄光を告げており、十字架の前に、イエス様がご自分の働きの実を見ることが出来る場へと自らの身を置こうとなさったのは印象的です。あたかもそのような場所で自らを奮い立たせ、困難な十字架に向かっていかれたかのようです。改めてイエス様の受難の意味の深さを覚えます。


ここに描かれているのは、イエス様の、人間に対する究極的な優しさです。黙って座っていて、その存在感で語ろうとするタイプの人も、自分の行動できっちりとイエス様への思いを表そうとする人々も、共に受け入れ、受け止めて下さるのです。両方のタイプとも、人間の世界では、この逆を言われてしまう可能性がありました。ただじっと座っているだけに見える人は、「座ってばかりいないで、外で体を動かしなさい」とばかりに、もっと積極的に、言葉や行いと通じてイエス様を伝えるように周りからプレッシャーをかけられるかもしれません。そればかりか、イエス様もそのように願っているのだ、と間違った思い付きを抱いて、自らを追い込んでしまうということにもなりかねません。行動で何かを表そうとする人は、それ自体が間違っているわけではなく、イエス様もそれを喜んでおられるということを忘れて、あくせく動き回る姿は実は悪なのであって、自分で自分を義としようとしているのだ、と間違った「反省の心」を抱いてしまう。どちらもちょっとずつずれています。


イエス様の暖かなまなざしは、黙って存在感で語る人も、いろいろと立ち回って証しする人も、同じように慈しんでくださいます。今年の御言葉によれば、その慈しみ、憐れみは尽きることも絶えることもなく、何と朝ごとに新たにされる。大きな恵みです。


それと、改めて復活のことなのですが、四旬節なので十字架の方をクローズアップしたほうが良いのかもしれませんが、重要なのでお話しておきます。先に触れましたように、イエス様は、これからご自分が向かっていかれることの中で、復活の方は事前に実現させている、ということです。もちろん、ご自分で体験なさったのではありません。別の人を復活させられた、ということになります。加えて、イエス様は大事な贖いの十字架の前に、まるで吸い寄せられるように、ベタニアに行かれますが、そこにラザロがいて、復活の現実をまざまざと見せつけていたのです。復活を実現なさる方は、ご自分の身を復活のある所に置かれる。そのようにも言えるかと思います。とりもなおさずこれは復活の重要性を語ることであって、順序は逆になってしまうものの、復活もまた重要である、ということを私たちに語りかけます。先にも触れたように、特に四旬節というある程度長い期間を過ごすので、どうしても十字架の方に目が行きがちなところ、バランスよく、復活の方もしっかりと受け止めて、信じていくことができたら、と思うものです。



お祈りいたしましょう。



アーメン





【讃美歌】  291番 起立



【献金】 ご家庭で礼拝なさる方も、できる限り、それぞれ工夫して、ささげものをする時を持ちましょう。

(献金箱の代わりになるようなものを用意し、そこに献金し、教会に来れるようになった時、

それを持参する、など)

 

献金の感謝のお祈り (一例 実際の礼拝では、奉仕者が自由祈祷)

 憐れみ深い神よ。

   あなたは、私たちに恵みと愛のしるしとして、

   私たちの思いを越えた多くの賜物を日ごとに備えてくださいます。

   私たちは私たち自身と賜わったすべてのものを喜びと感謝をもってささげます。

   私たちのためにご自身をささげられた主イエス・キリストのゆえに、

   私たちのささげるすべてを受けいれてください。

   あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められる

   み子、主イエス・キリストによって祈ります。

    アーメン



【主の祈り】


天にまします、われらの父よ。

ねがわくは、御名(みな)をあがめさせたまえ。

御国(みくに)を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもならせたまえ。

われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日もあたえたまえ。

われらに罪をおかすものをわれらがゆるすごとく、

われらの罪をもゆるしたまえ。

われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン




【頌栄】 546番    起立



【祝祷】

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。

   父と子と聖霊のみ名によって。アーメン


【後奏】  

 



【報告】

・現在四旬節を過ごしており、イースター献金の時期でもあります。精一杯おささげしましょう。

・ウクライナ情勢に主の働きかけがあり、「地には平和」とのみことばが実現しますように。

・けがや病で入院中の方々がおられます。お祈りいたしましょう。


皆様が感染から守られ、平安の内に毎日を送られますように





















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