※本日は讃美歌の歌詞は省略しております。
【黙祷】皆さんおはようございます。それでは礼拝に先立ち、しばらく黙祷の時といたしましょう。
只今より、2022年3月27日、四旬節第四主日の礼拝を始めます。
【讃美歌】 142番 起立
交読文 詩編32編 (旧約p862) ※「セラ」は読みません。
(司会)1節 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
(会衆)2節 いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
(司会)3節 わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
(会衆)4節 御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって
衰え果てました。〔セラ
(司会)わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/「主に
わたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ
(会衆)6節 あなたの慈しみに生きる人は皆/あなたを見いだしうる間にあなたに祈
ります。大水が溢れ流れるときにも/その人に及ぶことは決してありません。
(司会)7節 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって
/わたしを囲んでくださる方。〔セラ
(全員)8節 わたしはあなたを目覚めさせ/行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
(司会)9節 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑え
ねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
(会衆)10節 神に逆らう者は悩みが多く/主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
(全員)11節 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。
【祈祷】 (一例。実際の礼拝では、司会者が自由祈祷)
天の神様。この朝をありがとうございます。
あなたの恵みの御手の中で先週一週間を過ごし、
このように主の日にまた集まって、
あなたを礼拝することができてありがとうございます。
この礼拝で永遠の神のことばを聞く方々おひとりおひとりに、
導きと祝福をお与えください。
また、礼拝で奉仕する人々を祝福してくださり、
聖霊なる神のご臨在の中で、奉仕が全うできますように。
今日は蔓延防止等重点措置が解除されて最初の日曜日となります。
これからも安心安全の中で礼拝が続けられるためにも、
感染再拡大がありませんように助けてください。
また、先日東北地方で大きな地震が再び起きて、
今までのつながりが分断されて、
孤独の中におられる方もあるでしょう。
このような日々、福音によって慰めと励ましがありますように。
どうか主の教会を守ってくださり、
それぞれの地での礼拝を祝福してください。
この礼拝の初めから終わりまで、あなたのみ手にゆだねます。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
【讃美歌】 501番 起立
【信仰告白】 使徒信条 起立
われは、天地のつくりぬし、父なる全能の神を信ず。
われは、そのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受うけ、十字架につけられ、死して葬られ、よみにくだり、
三日目によみがえり、天にのぼり、父なる全能の神の右に座したまえり。
生ける人と死にたる人とをさばかんがため、かしこより再び来たりたまわん。
われは聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。
ア-メン。
聖書朗読 第二コリント5章16~21節(新約p331)
16:それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。
17:だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
18:これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
19:つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
20:ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
21:罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
昨年秋から、「つながり」をキーワードに教会のことを考える、そして「つながりづくり」をビジョンとしていくことを提唱しています。その観点から世界を見ていくと、現在大きな課題となっているウクライナとロシアの問題も、両国の「つながりづくり」にどこかでほころびが生じてしまった、そのようなことだとも考えられます。また、私たちの周りでは、このコロナ禍において強制的に人と人とのつながりが分断されてしまった側面もあり、その面で再び「つながりづくり」が必要とされてきています。今日はこの「つながり」がひとつの話題となります。
今日は聖書日課の使徒書を開いておりますが、17節には「キリストと結ばれる人」とあり、まさに今日の主題である「キリストとのつながり」が明確に示されています。キリストと結ばれる人はキリストを肉に従って知ろうとしません(16節)。それは古い人に属するからです。例えば、イエス様当時のイスラエルの人々からしたら、イエス様が自分たちの国を再興して下さる方だ、そういった意味でのメシアであるのだ、と受け取った場合、それがキリストを肉に従って知ろうとしたやり方であったことになります。その後の人間の歩みにおいて、キリストは半分神、半分人間のように理解されたり、緑の野で奮闘する若き預言者としてロマンティックに描かれたり、道徳の教師に引き下げられたり、様々な理解のされ方をしてきて、それがある意味でキリストを肉に従って知ろうとした結果とも言えるでしょう。
ですが、今日の聖書箇所では「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(17節)と高らかに宣言されています。これが「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者」である、と言われる恵みの出来事です。これは「すべて神から出ること」(18節)と言われる通り、一方的な神様からの恵みであり、私たちが決断したから、悔い改めたから、という、私たちの側の貢献は何もないことになります。神様はただ一重にわたしたち人間と和解なさりたかった。どのように和解するかはすべて神様の方でお考えになり、イエス様の十字架、という方法で、実際に和解を実現なさったのです。
私たちはそれを知り、それを自分のこととして信じるように導かれました。自分で信じた、と思っていても、実はそれは神様の導きだったのです。あの日あの時、「イエス様を信じよう」と思った。ある人は「決断した」と思ったあの瞬間は、すべて神様がご用意なさったものだったのです。これは、ヨハネによる福音書15章において指摘されていた、私たちの信仰と選びの関係についての教えと関連があります。そのみことばをご紹介しましょう。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」
(ヨハネによる福音書 15章 16節)
厳密に言うと、書かれた順番からすればパウロの方が先にこの思想について書いていて、そののちにヨハネが自身の福音書の中で明確化した、ということになります。「私たちが」信じた、と言うよりは、神様が信じるようにしてくださった、ということ。改めて、「これらはすべて神から出ること」(18節)と言われる言葉の重みを味わいたいと思います。
そのようにしてまで私たちと和解なさったのは、今度は私たちが和解の使節として、神様のお働きを担うためでした。そのあたりのことは、
「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです」(19節)
と表現されています。ここで、まずは「世をご自分を和解させ」と言われていることに注目しておきたいと思います。人間をご自分と和解させる、とは言われていません。とは言っても、ここでの「世」とは「世界」という意味よりは、「世に住む人々」という意味です。これもまた、ヨハネの福音書との共通点となっています。あの有名な、ヨハネ3章16節の御言葉です。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書 3章 16節)
ここで言われている「世を愛された」ということ、神様がそれほどまでに愛された、ということですが、これも、世界を愛されたというよりは、そこに住む人々を愛された、という意味です。パウロがこの手紙を書いたのが50年代半ば、聖書の順序とは異なりヨハネによる福音書の方があとで、90年頃に書かれたとしておおよそ35年。その長きにわたって、初代の教会はこの「神様が世を愛し、世と和解される」という大事な教えを保持し、パウロからヨハネへ、リレーのようにしてそれを伝えてきたのです。
最後に、この箇所に登場する、ひとつの特徴ある表現について、触れておきたいと思います。それが、20節にある「神と和解させていただきなさい」という御言葉なのです。この、わりと近年増えてきている「読ませていただきます」、テレビである芸能人は「読まさせていただきます」とよく言うのですが、そのような言い方の先取りのような御言葉、これはある意味で翻訳の問題でもあり、実際、新改訳では「和解を受け入れなさい」、口語訳では「神の和解を受けなさい」と、ごく普通に命令形、あるいはお勧めの形で訳されているのです。それをあえて、「和解させていただきなさい」などと回りくどい訳をしているのはもちろん新共同訳のポリシーであって、ここにおいてあくまで人間は受け身なのだ、ということを表したいのです。神様との和解を勧める使節として働きをなす私たちはこのことを覚えておくとよいでしょう。さあ、決断するのはあなたです、あなたが主体的に決めるのです、というのではないのです。いろいろわからないこともある、信じるには飛び越えなければならない山や谷がいくらもある、というときに、あとは神様が面倒を見て下さり、信じることが出来るようにしてくださるから、安心して神様に任せるのです、と私たちは伝えていくのです。
この和解のためには、「罪と何のかかわりもない」キリストを罪とする、という犠牲が払われました。言い換えれば、罪とつながりのなかった方が、罪とつながりのある者とされた、ということでもあります。その重みを考えれば、私があの時信じたから救われたのだ、と言うのはこのキリストの犠牲を軽んじることにもなりかねません。そのパウロの思いがこの箇所に色濃く表れていて、このように慎重に、すべては神がなさったことで、自分で信じたのではない、というトーンになったのでしょう。そのことに私たちはむしろ、神様がなさったことなのだからこの救いは確かなのだ、と安心をしたいと思います。そして、私たちはキリストと結ばれる人が多く起こされることを願い、キリストとのつながりをこれからも求めて生きるのです。
お祈りいたしましょう。
天の神様。あなたの尊い御名を賛美します。
今朝も目覚めを与えて下さり、このみことばの時を与えてくださって感謝します。
あなたがこの世と、私たちと和解しようとする思いがひしひしと伝わってきています。
その肝心の世は、人間の罪のせいではなはだ不完全なものとなり、
いまだ人と人とが争うような世の中ですが、
それでもなおあなたの慈しみと憐れみは尽きることなく、
かえって朝ごとに新たとなり、
私たちを生かし、和解の恵みの中に置いてくださり、
そればかりか、却って私たちを和解の使節として用いようとしていて下さることに感謝します。
その恵みに支えられ、あなたの御心の中に生きる私たちでありますように。
和解の使節として、キリストの恵みを伝える者でありますように。
そしてこの願いこそが私の今を支え、
私を固く立たせるものでありますように。
困難な中でも、私たちを強く生かしてください。
主の御名によって祈ります。
アーメン
【讃美歌】 139番 起立
【献金】 ご家庭で礼拝なさる方も、できる限り、それぞれ工夫して、ささげものをする時を持ちましょう。
(献金箱の代わりになるようなものを用意し、そこに献金し、教会に来れるようになった時、
それを持参する、など)
献金の感謝のお祈り (一例 実際の礼拝では、奉仕者が自由祈祷)
憐れみ深い神よ。
あなたは、私たちに恵みと愛のしるしとして、
私たちの思いを越えた多くの賜物を日ごとに備えてくださいます。
私たちは私たち自身と賜わったすべてのものを喜びと感謝をもってささげます。
私たちのためにご自身をささげられた主イエス・キリストのゆえに、
私たちのささげるすべてを受けいれてください。
あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められる
み子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン
【主の祈り】
天にまします、われらの父よ。
ねがわくは、御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもならせたまえ。
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日もあたえたまえ。
われらに罪をおかすものをわれらがゆるすごとく、
われらの罪をもゆるしたまえ。
われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン
【頌栄】 546番 起立
【祝祷】
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン
【後奏】
【報告】
・現在四旬節を過ごしており、イースター献金の時期でもあります。精一杯おささげしましょう。
・ウクライナ情勢に主の働きかけがあり、「地には平和」とのみことばが実現しますように。
・けがや病で入院中の方々がおられます。お祈りいたしましょう。
皆様が感染から守られ、平安の内に毎日を送られますように
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