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執筆者の写真明裕 橘内

2022年12月25日 クリスマス礼拝

【聖書交読】 イザヤ52章7~10節(旧約p1148)

司)7:いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。

会)8:その声に、あなたの見張りは声をあげ/皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る/主がシオンに帰られるのを。

司)9:歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

全)10:主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。


【聖書朗読】ヘブライ1章1~4節(新約p401)

1:神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、

2:この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。

3:御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。

4:御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。


ヨハネ1章1~14節(新約p163)

1:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2:この言は、初めに神と共にあった。

3:万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

4:言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

5:光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

6:神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

7:彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

8:彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

9:その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

10:言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

11:言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

12:しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

13:この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

14:言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。


【説教】「ご自分の民の間に」


私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン


今年は12月25日クリスマスがちょうど日曜日となりました。昨日はクリスマスイブ燭火礼拝があり、本日がクリスマス礼拝、ということで、2日連続の礼拝となっております。このように25日が日曜となったのは2016年、私がこの教会に赴任してきた年で6年前、次に25日が日曜日となるのは何と2033年、9年先となります。その頃世界はどうなっているでしょうか。ちなみに25日が日曜だと元旦も日曜となりますが、もう来週の日曜日が来年、2023年の1月1日、元旦、ということになります。早いですね。元旦ですが日曜日であることが優先され、来週は通常通り10時半からの礼拝となります。


さて、昨日の燭火礼拝とともに、祈祷会でもクリスマスに関連する聖書の箇所を開きました。今朝はヨハネによる福音書にある、クリスマスに関係する御言葉を開いております。


創世記の冒頭を思わせるような「初めに言(ことば)があった」という印象的なフレーズによって始まるヨハネによる福音書ですが、マタイやルカとは異なる角度から、ここで意味深く「言」と呼ばれているイエス様のお誕生について述べています。その要点は、「ご自分の民のところに来た救い主イエス様が、私たちの間に宿られた」ということです。


まず、「ご自分の民」と表現されるほど、イエス様は私たち人間と親しい間柄であることがわかります。ところが、実際のところ、「民は受け入れなかった」とあります。先ほど賛美した讃美歌124番では、


「みくにをもみくらをも あとにすてまして、

くだりにしイエス君を うくる家あらず」


と歌われています。神の御子として、本日もう一か所お読みいただいたヘブライ書では「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物をご自分の力ある言葉によって支えておられる」とまで表現されている方が、その栄光の座をお捨てになってまで、人間の世界に下ってきてくださった。それにもかかわらず、何と「ご自分の民」とも呼ばれる親しい関係性の中にある人間たちが、そのイエス様を受け入れなかった。大きな決断をして、踏み切ったことが、まるで理解されずに、大事に受け止められなかったとすれば、私たちは大いに失望することでしょう。いや、それどころか、絶望の淵に突き落とされてしまうことだってあろうかと思います。それなのに、この讃美歌の歌詞のように、この世に来られたイエス様を受け入れる家はなかった、すなわちその余地がなかった、というのが現実でした。


それは約2000年前の状況であり、現代の私たちの世界の現状でもあります。先行きの不安に心が押しつぶされているのか、ちょっと努力して、自分の人生を建て直せば大概のことはうまくいく、という慢心で他からの助けを受け入れにくい状態になっているのか、それは人によって異なると思いますが、若干心にゆとりがない、という点では共通しているかもしれません。


しかし、そのような状況があるにもかかわらず、諦めないのがイエス様です。粘り強く、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とあります。私たちと同じような姿になり、私たちの傍らに来られて、しかも長く滞在してくださる、ということです。じっくり腰を据えて人間に関わって下さるイエス様の姿を垣間見ることができる御言葉です。


このように、人間の冷たい仕打ちに及び腰になることなく、諦めずに関係性、つながりを保ってくださった方は、もう一度少し振り返って確認しますと、「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(3節)とまで言われる偉大な方であって、それは先ほども触れましたように、本日の使徒書のヘブライ書でも、「神は、御子によって世界を創造されました」と言われている通りです。救い主であるだけでなく、創造主でもある神の御子、イエス様の姿が描かれています。このような方であるならば、あまりに偉大で栄光ある方であって、高みに創造主として君臨し、むしろ人間側に、「頑張って努力して、ここまで上ってきなさい」と要求してもおかしくない存在であるようにも思われます。ましてこの方は、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(4節)とまで言われているのです。


それなのに、この方が、むしろご自分から、私たちのもとに降りてきてくださった。この「降りてきてくださる神様」という考え方は、古くは有名なキリシタン大名である高山右近も感動し、大事にした概念であるとも言われ、私たち日本人にも関係が深いことになります。この光は「まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(9節)と言い換えられており、ここに「すべての人」と言われている以上、分け隔てなく、文字通りすべての人が、人に言えない暗闇の部分を抱えたままで、まことの光であるイエス様に明るく照らし出していただき、道を見出して一歩、歩みを進めることができることが明らかにされているのです。


このように、私たちの間に宿られたイエス様は「恵みと真理とに満ちていた」とありますが、これはまさに、今年の御言葉にある「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない」と言われたことが実現した姿に他なりません。このように、私たちの遠くではなく、まさに私たちの間に、恵みと真理とに満ち、言い換えれば尽きることのない慈しみと憐れみに満ちた方がおられます。しかも、短期滞在ではありません。もとは「幕屋/天幕を張って住む」ということで、神と人とが共に住むというのは旧約聖書の時代からの希望であったと言われ、のちには「神の幕屋が人と共にある」と黙示録で言われるまでになります。私たちのもとに降りてきてくださった神様であるイエス様が、「ご自分の民」と言われる私たちの間に宿り、共に住んでくださる。この希望のうちに、今年1年を感謝をもって終えて、新しい年を一緒に迎えましょう。


お祈りいたします。

天の父なる神様。

ひとり子なる神をこの世にお遣わし下さり、

私たちをその光によって照らしてくださって感謝します。

普段は何かと忙しいとか何とか言いながら、

せっかくご自分の民、とまでおっしゃる私たちの間に来てくださったにも関わらず、

イエス様のことを思い出すことがなんと少ないことでしょうか。

それでも私たちに対して常に恵み深く、

絶えることのない慈しみと憐みでもって私たちを支えていてくださり、

暖かく受け止めていてくださることに改めて感謝します。

今日は一年最後の礼拝でもありますが、

まさにいろいろあったこの一年、

あなたの恵みも豊かであったことを思います。

そのことに感謝し、

この一年の残りの日々を丁寧に生き、

そして、あなたが私たちのために用意していてくださる、

新しい年、2023年を迎えることができますように。

改めて、地には平和、と、来る2023年が平和の年となりますよう、

お祈りいたします。

イエス様のお名前によってお祈りいたします。

アーメン


【報告】

・クリスマスであり、また一年最後の礼拝の日でもあります。感謝してクリスマス献金をおささげしましょう。

・本日はクリスマスプレゼントが用意されています。クリスマスの企画・準備に携わってくださったクリスマス委員会の皆さんに感謝します。

・本日は昼食会があります。お残り下さい。

・来週は元旦ですが日曜日であるので10時半からの礼拝となります。お茶会があります。聖餐式は8日です。

・今年一年ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。



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