【聖書交読】 詩篇149編(旧約989頁)
司)1:ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。
会)2:イスラエルはその造り主によって喜び祝い/シオンの子らはその王によって喜び躍れ。
司)3:踊りをささげて御名を賛美し/太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。
会)4:主は御自分の民を喜び/貧しい人を救いの輝きで装われる。
司)5:主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み/伏していても喜びの声をあげる。
会)6:口には神をあがめる歌があり/手には両刃の剣を持つ。
司)7:国々に報復し/諸国の民を懲らしめ
会)8:王たちを鎖につなぎ/君侯に鉄の枷をはめ
全)9:定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。ハレルヤ。
【聖書朗読】 ルカ6章20~31節(新約112頁)
20:さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。
21:今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。
22:人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
23:その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
24:しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。
25:今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。
26:すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
27:「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
28:悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
29:あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
30:求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
31:人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
礼拝説教 「天にて受ける喜び」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
本日は召天者記念礼拝として、神様からの恵みと慰めを受ける機会を設けております。
この召天者記念礼拝は、先に世を去った方々を天に召された方として召天者とお呼びし、思い起こして記念する時です。自ずと天、あるいは天国のことを思うことになるのではないでしょうか。
天国という言葉が日常生活の中でごく身近になるのは、たとえば歩行者天国、などと言った言葉などによるかもしれません。昨日で発生から一週間となったお隣韓国の梨泰院(イテウォン)の事故。150人以上もの人々が犠牲となったあの事故を受けて、ハロウィンの日、日本では渋谷をはじめ、最大限の警戒がなされました。そのようなときに、交通規制がなされ、車が乗り入れることのできない歩行者天国が出現します。また、昨日、今日と開催されている岐阜の信長まつりでも、想定以上の人々が訪れるとのことで、歩行者天国が設けられ、警備には3000万以上の予算がつぎ込まれる、との報道がありました。このご時世、それだけの予算を投じてまでそのイベントを開催する必要があったのか、のちのち議論が起こりそうな気配さえあります。残念ながら、歩行者「天国」とは言いながら、地上においては、その背後には悲惨な事故があったり、そのために大きなお金が動いたり、ということがあるようです。
では、正真正銘の、本物の天国は、どのようなものなのでしょうか。聖書には、どのように描かれているのでしょうか。
本日の聖書箇所には、その件に関して、「神の国」(20節)と「天」(23節)と二通りの表現が出てまいります。そのどちらも、同じく私たちが思い浮かべる「天国」というところを指しています。「神の国」がどちらかというと神様の影響力の及ぶ範囲、といった意味合いで「領域」と言い換えることができ、「天」は「おおよそ天と呼ばれる場所」といった意味合いだと捉えることもできるでしょう。「貧しい人々」(20節)、すなわち神様の前で何も持たない者として存在する時、神の国と呼ばれる領域は私たちのものであると宣言され、そのような場所において、私たちは「大きな報い」(23節)を得ることとなり、その喜びにあずかる、ということになります。
しかし、それには人々に憎まれる(22節)など、様々な負の体験を通らなければなりません。22節を改めて読んでみましょう。
「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。」(22節)
これだけ重ねて、地上で経験する不当な扱いについて、述べられています。とてもこれを「幸い」とは認識できないのではないでしょうか。そもそも貧しい人々として存在することも、感情的にうれしく感じるものではないように思われます。
しかし、常に天においては逆転現象が起こるもので、地上での悲しみは喜びに変えられる、というのがいにしえの聖徒たちの信仰でした。続けて23節を読みますと、次のようにあります。
「その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」(23節)
天国の特徴、それは、この喜びです。天における喜び、そして、召天者の方々、そしてのちに私たちが天にて受ける喜びです。その喜びについて思いをはせるのに、ヒントとしてまた歩行者天国を引き合いに出してきたいと思います。歩行者天国の大きな特徴は、車が乗り入れられない、ということです。ということは、すなわち「守られている」ということです。そこから類推するに、天国も神様からの守りを体感できるところなのではないでしょうか。また、歩行者天国には、「普段そうではないのに、堂々と歩くことができる」という側面もありまして、それは一言でいえば「非日常性」です。召天者の方々がすでに招き入れられ、また私たちも信仰において招き入れられるところの天国、そこは言わずもがなのことですが、もちろん非日常性で満ちています。それが、胸躍るような喜びにつながっていくのだと思います。
いにしえの聖徒たちが大いなる逆転を待ち望み、力強く歩んでいったことを私たちは間近で見る機会がありましt。それに倣い、私たちも希望を持って、先人の歩んだ道を神様と共に歩んでいきたいものです。
お祈りしましょう。
私たちの天の父なる神様。
この新しい一日、また新し一週をありがとうございます。
私たちに、輝く朝日を通して、
天国の輝きを垣間見せてくださり、
感謝します。
私たちが想像もつかない天国、
しかしそこは安心できて、
また胸躍るような喜びがあるところだと教えてくださいました。
私たちが地上で苦しみ悲しむことがあっても、
偉大なる逆転現象が起こり、
天国において、大いなる報い、大いなる喜びを得られること、
これはいにしえの聖徒たちとともに、
私たちの大いなる希望です。
すでに天に帰られた召天者の方々も、
そのような希望を胸に抱いてこの世を歩み、
今はその天国で安らいでおられることを覚えます。
どうぞその歩みに、私たちも連なることができるように導いてください。
イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン
【報告】
・本日召天者記念礼拝です。午後は墓前礼拝となります。
・秋の特別礼拝が近づきました。11月20日、ゲスト説教者は池上安先生です。
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