2026年9月13日 聖霊降臨後第16主日
聖書交読 ローマ10章8~15節(新約p288)
司)8:では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、/あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
会)9:口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
司)10:実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
会)11:聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
司)12:ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
会)13:「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
司)14:ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
全)15:遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
聖書朗読 Ⅰペトロ3章15,16節(新約p432)
15:心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
16:それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。
※本日は、御影ルーテル教会では馬渕主事の説教です。その要約を以下、掲載します。
本日の説教より 「福音を宣べ伝える」
皆さんもよくご存知の聖書の箇所の一つに、「宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか」(ロマ書10章14節)があると思います。その通りですね。そして、この宣べ伝えるということが、宣教と伝道ということになります。しかし、あらかじめ申しますが、私は今朝、イエス様の大宣教命令を持ち出して、「皆さん、宣教と伝道に励みましょう」と説き、奨励をしたいとは思っていません。そうではなくて、宣教するとは、実際のところ、どういうことなのだろうかということを、ご一緒に、立ち止まりながら、理解を深めていきたいと願っているのです。
私たちは、感謝にあふれているからこそ、その喜びを、回りの人に伝えようとできるのではないでしょうか。それは、義務や職務のようなものではなく、自然と内から出て、伝わっていくものなのだと私は思うのです。伝道と今日のテーマの一つである弁証についてルターの述べていることをご紹介したいと思います。
伝道は、個人的な招待状を送るようなものです。「あなたは宴に招待されていますよ!ぜひ来てください!」。弁証は、この招きの基礎を築きます。伝道は実際に招くのです。ルターは続けて述べます。「だからこそ、伝道を強調することが大切になってきます」。彼は譬えを用いて説明します。「信仰とは海を渡って島へと向かうボートに乗るようなものなのです。弁証は、ボートが存在すると信じることの妥当性を証明し、それに乗って移動することが安全であることを説き、水平線の向こうに島が存在することを論証することはできます。しかし、必要なのはそのボートに乗って実際に島まで移動することなのです」。
差し支えなければ、これからも皆さんと、信仰と宣教や伝道について、そして弁証について、共に考えを深め、可能な範囲で、小さな歩みの一歩を踏み出して行けたらと願っています。
報告
・本日は馬渕主事の説教でした。来週は、玲子牧師の説教です。




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