2026年5月31日 三位一体主日
- 明裕 橘内
- 1 分前
- 読了時間: 12分
聖書交読 詩編8編(旧約p840)
司)8:1 【指揮者によって。ギティトに/合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
会)8:2 主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます
司)8:3 幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。
会)8:4 あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
司)8:5 そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
会)8:6 神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ
司)8:7 御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。
会)8:8 羊も牛も、野の獣も
司)8:9 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
全)8:10 主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。
聖書朗読 Ⅱコリント13章11~13節(新約p341)
13:11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
13:12 聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
説教 「三位一体の神の励まし」
説教に先立ち、皆さんを祝福する短いお祈りをいたします。最後はご一緒にアーメンとご唱和ください。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
皆さん、おはようございます。5月第5週目の礼拝、また教会の暦では三位一体主日の礼拝にようこそお越しくださいました。先週の聖霊降臨祭を受け、今日は神様が三位一体の姿で現れておられることを心に思い、そのことを記念する日です。
とは言うものの、この三位一体が難しい。つい先日、礼拝の日の朝に、「三位一体というと、三位一体の構造改革とか、そういった、別の世界で使われている」というお話を耳にしました。確かに、教会外の世界でも使われながら、その実、では三位一体とはどういうことなのか、何か3つのものが一つになるならそれは三位一体なのか、ということになりますが、聖書日課に示された聖書の箇所を通して、少しでもそのあたりのことに触れることができたらと思っております。
そのような私たちが生きている現実世界とは、中東戦争の影響が長引き、ついには、長い歴史の有名なスナック菓子が、カラーのパッケージを取りやめ、白黒で印刷し出した、そういった商品が、実際に店頭に並び始めた、そんなことも聞いています。種々の値上げに伴う負担感は増す一方。まだ5月なのでわかりませんが、今年はもしかして、この「負担」という言葉がキーワードになってしまうかもしれないほどです。戦時下に生きる私たち、ということを、もっと意識しなければならないかもしれません。そのような状況下に生きる私たちと、この三位一体の神様はどうかかわられるのでしょうか。
とりあえずは、まず、本日の聖書朗読の箇所である、第二コリントの最後のみことばを読んでまいりましょう。このあと、せっかくですから、本日の聖書日課の他の箇所も少しご紹介していきたいと思っております。
パウロがコリントの信徒たちに向けて書いた第二の手紙ですが、実際はこの間にもう一通、涙ながらの手紙を書いていると言われています。コリントの信徒たちへ書かれた手紙に着いて整理しますと、まず、パウロが第二回伝道旅行の際に1年半滞在して、このギリシア世界にあるコリントに教会を設立しています。しかし、パウロが去った後、分派が起こり、礼拝も混乱、土地柄、道徳的にも問題があったことから、まず第一の手紙を書き送ります。それでも状況が改善されないと知り、パウロは短期間訪問し、さらに、現在は失われた、涙ながらの手紙を書いたと言われます。それによって大部分の信徒たちが悔い改めたと報告を受けますが、まだ少数の悔い改めない者たちが残っているので、その人たちのためにこの第二の手紙を書いた、と言われます。だから、前半は信徒たちが悔い改めたことを喜びつつも、後半はまた、厳しい調子に戻っていると言われています。
そうではあっても、手紙の最後の部分であるこの13章11節は、「兄弟たち、喜びなさい」という言葉で始まっています。2018年に出された最も新しい聖書協会共同訳では、この「兄弟たち」が、平仮名で表記されています。現代のジェンダーの問題を反映しているわけですが、もちろんここでは兄弟姉妹、すべてを指しています。続いての「完全な者になりなさい」は、その背後に「シャローム」というヘブル語の言葉があるように思えてなりません。「シャローム」は「平和」あるいは「平安」と訳される言葉で、現代ヘブル語では挨拶ことばとしても用いられていますが、もともとは「完全である、物事があるべき状態にある、健全である」などの広く深い意味を持つ言葉です。パウロは、ただコリントの信徒たちに、完全無欠になれ、と勧めているのではなく、神様によってシャロームの状態にまで導かれるように、ということを願っているのかもしれません。聖書協会共同訳は、「初心に帰りなさい」と、変わった訳をしています。
続く「励まし合いなさい」は、「慰めを受けなさい」とも訳されています。これは、基の言葉が、「励ます」とも「慰める」とも訳される言葉だからです。私たちは三位一体の神様から励ましを受け、また、心に慰めを受けて、この負担感の多い世の中でも、何とか生き抜いていけるのです。
「思いを一つにしなさい」は、これがあるから次の「平和を保つ」ということが可能となる、ということでもあるでしょう。我先に聖霊の賜物を披露して混乱状態にあったコリントの礼拝において、思いを一つにすることで互いの間に平和を保つことは重要でした。むしろ、聖霊の現われは、先週説教であったように、教会全体の益となるためであったのですから、本来聖霊はこのように、信徒たちが一つの思いとなり、平和を保つように導く方であったのです。ここでは、三位一体の神様の、聖霊の働きの側面であるとも言えると思います。
「そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」と、11節は結ばれています。
12節は、これは聖書の御言葉の中でも、時代と地域限定の行いですので、今からこの御影ルーテル教会でもこのようにしましょう、ということではありません。かつてある地域で、このような形でお互いの親睦を深めていた、という記録です。
そのうえで、最後に13節で、皆さんもよくご存じの、三位一体の神様による祝祷の言葉につながります。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」。どの翻訳も、基本的にほとんど変わりがありません。三位一体の第二位格と言われるイエス・キリストには、「主」が付けられて、この方が救いの主であり、また、人生の主であることが表されています。この方には、「恵み」が関連付けられています。続いて、三位一体の第一位格の父なる神様に言及され、この方には「愛」が関連付けられています。そして、最後に三位一体の第三位格の聖霊に言及されます。この方は、父なる神様と子なるキリストから発出される、と定義されています。この方には、「交わり」が関連付けられています。
先日、説教の中で三位一体の神様について触れた時、私はついうっかり、「私たちはイエス様にも、父なる神様にも愛され、大事にされて、加えて真理の霊である聖霊が共にいてくださる中で、この《方々に》守られて、日々を過ごせるのです」と言ったことを言ってしまい、しまった、と思いました。三位一体を正確に述べるなら、ここでは最後に、「《この方に》守られて」、と言うべきでした。もともと日本語では、それほど単数複数の違いを強調しないものの、ここでは大事な三位一体に関わることですから、「一体」と言うほどなのですから、その辺りには注意を払うべきでした。
それはそうなのですが、私たちがイエス様にも、父なる神様にも愛され、大事にされて、その上さらに、聖霊が共にいてくださって、助けてくださっているのは紛れもない事実です。しかも、主イエス様は恵み深く私たちに臨んでくださり、その恵みによって罪赦して救ってくださり、父なる神様はその大いなる愛を持って私たちを包み込み、さらに聖霊はキリストと父なる神様と交わりを保って、その温かい三位一体の神様の交わりの中に、私たちをも巻き込んで、その中に入れてくださる、そのことが示されています。
聖書日課の旧約の箇所ですと、創世記の1章からなのですが、実はこの部分からすでに、神様はご自身を、三位一体の方として暗示しておられます。
1:初めに、神は天地を創造された。
2:地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
3:神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(創世記1章1~3節)
ここに、天地を造られた父なる神様、そして水の面を動く神の霊である聖霊、そして「光あれ」と言われた神の言葉、そして光としてのキリスト、この三位一体が示されているのです。
交読の箇所であった詩編8編では、特に父なる神様のことについて述べられていました。そこには、父なる神様が天を造られた、月も、星も、この父なる神様が配置された、と詠われていました。また、人間もまた、神に僅かに劣るものとして、それでも、栄光と威光を冠としていただいて、神様に造られたことが記されています。
では、福音書の箇所から、少しご紹介します。
18:イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
19:だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
20:あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28章18~20節)
福音書では、キリストの姿がクローズアップされていました。三位一体の神様の中で、このキリストがいわばスポークスマンとなって、三位一体について、述べておられます。第二コリントの13章の13節、祝祷で用いられているこの三位一体の言葉が、なぜ三位一体の神の第二位格であるキリストから始まるか、そのことについて疑問を持たれることがあったら、その疑問を解くヒントは、この箇所にもあると思います。キリストは、いわば三位一体の神様の筆頭として、代表として口となり、「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と語られたのです。もちろん、「三位一体」という言葉自体を語られたわけではありません。その言葉を教会用語にしたのは後の2~3世紀の神学者、テルトリアヌスでありますが、イエス様はその内実、「父と子と聖霊の名」について触れておられるのです。ここで、先ほど私が触れた単数、複数、ということでありますけれども、日本語ではわかりにくいですが、ここで使われている「名」という言葉は、単数なのです。父と子と聖霊と、三者おられるから、「複数の名」ではないのです。父と子と聖霊の名(単数)、ということなのです。これも、マタイが三位一体を意識して書いたとも言われています。
結論としては、負担感にあえぎ、戦時下の独特のプレッシャーと不安の中に生きる私たちに、この神様は様々な関わりを見せてくださり、私たちを慰め、励ましてくださる、ということになります。神様は私たちに、一方向から、一様のかかわりかたを見せられるのではなく、恵みという方面からも、愛という側面からも、また交わり、という方向からも、私たちに関わってくださるのです。しかも、この神様は、私たちと、私たちが生きるこの世界全体を造ってくださった方であり、またキリストとして、まさに神様の言葉として、私たちに三位一体の神様のことを告げてくださり、天地創造の時にうごめいていた聖霊は、そのように活動的で、私たち一人一人の所まで動いて赴いてくださり、常に私たちを心配して、様子を見ていてくださいます。祈祷会で、ついこの前までエステル記を読んでいたのですが、その中で、モルデカイがエステルを心配して、エステルのいる部屋の前を歩き回り、その安否を気遣っていた、そのモルデカイの姿は、聖霊の姿の象徴だと言われることがあります。私たちは人間として欠けがあり、完全ではありませんから、常に人を心配し、その安否を気遣うことは難しいことがあります。しかし、だからこそ聖霊がおられ、その方が「どうしてるかなあ」と、私たちのそばを歩き回り、様子を見て、心配していてくださるのです。
この三位一体については、人間の理性を越えているので、完全に描き切ることは困難ですし、もっとその意味について、くみ出せばくみ出すほど、深い意味と恵みがあると思いますが、今日はこの辺にしたいと思います。私がこの三位一体のことに関してよく使う決まり文句は、「三位一体の神様の手厚い保護」という言葉なのですが、この事が示している通り、私たちに対して、三重の保護をなしていてくださり、私たちを励ましてくださるのが、この三位一体の神様です。この方が、私たちが今置かれた状況をご存じでないはずがありません。外からの圧力、そして内側の衰え、病などからくる悩み苦しみ、そういったこと、すべてを三位一体の神様に預けましょう。皆さんに、三位一体の神様の豊かな慰めと励ましがありますように。
お祈りしましょう。
全知全能の偉大なる三位一体の神様。あなたのお名前を賛美します。父なる神様、あなたはこの世界と私たちを造られ、御子なるキリストは私たちを救い、また、聖霊なる神様は、私たちのすぐそばにいて、なにくれとなく私たちのために御配慮くださっていることに感謝します。頭で三位一体を理解するのではなく、私たちの救い主であり人生の主であるキリストの恵み、父なる神様の愛、聖霊の親しい交わりの中に私たちも入れていてくださることを日々感じながら、歩みを続けていくことができますように。この三位一体の神様の手厚い保護の中で、日々励まされ、心慰められて、毎日を過ごしていけるよう、いつも助けてください。私たちには、この時代を生きていくために、あなたの励ましが必要です。どうかいつも共にいて、私たちを力づけてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン




コメント