2026年2月1日 顕現後第四主日
- 明裕 橘内
- 2 時間前
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聖書交読 詩編15 編(旧約p845)
司)15:1 【賛歌。ダビデの詩。】主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り/聖なる山に住むことができるのでしょうか。
会)15:2 それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり
司)15:3 舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
会)15:4 主の目にかなわないものは退け/主を畏れる人を尊び/悪事をしないとの誓いを守る人。
全)15:5 金を貸しても利息を取らず/賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は/とこしえに揺らぐことがないでしょう。
聖書朗読 フィリピ4章2~7節(新約p365)
4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。
4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
説教 「感謝を込めて」
説教に先立ち、皆さんを祝福する短いお祈りをいたします。確信を持ってアーメンとご唱和ください。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
本日は、午後に第53回教会総会を控えている礼拝です。「感謝の祈りを胸に、新たな一歩を」という創立70周年の標語の通り、今までの神様の恵みと導きに感謝し、新たな一歩を踏み出す時となることを願っております。
その前の、この朝の礼拝においては、今年の御言葉が含まれている一連の箇所を開いております。フィリピの信徒への手紙4章2~7節を開いていただいていますが、その中の6節が、今年の御言葉となっております。
ローマの獄中において、61年頃に書かれたと言われるこのフィリピの信徒への手紙。最初にパウロが共同差出人であるテモテと共に書いたときには、もちろん今のように4つの章に分けられていたわけではありませんが、現在はこのように、読む者の便宜のために章に分けられていて、その最後の章、4章に、今日開いている聖書の箇所配置しています。その冒頭の箇所、ということです。前の3章では、キリストを信じるとはどういうことなのか教え、更に、目標を目指して走り続けることを強く勧めています。新共同訳聖書は小見出しが付いていますので、このように内容を把握するのに便利です。それによると、4章の今日開いているところには「勧めの言葉」となっており、パウロの具体的な勧めが書いてあることがわかります。
2節からうかがい知れることは、パウロを良く助けたフィリピの教会でありましたけれども、だからと言って理想的な、何の問題もない教会だったかと言うと、信徒間の対立という問題を抱えていた、ということです。だからパウロはここで、「お世話になった教会だから、何も言えない」ではなくて、はっきりと「主において同じ思いを抱きなさい」と勧めています。「エボディア」も「シンティケ」という名前も、私たち日本人には馴染みのないものですが、両方とも女性の名前です。ちなみに、「エボディア」が「良い旅」あるいは「成功」、「シンティケ」が「幸運」という意味だと言われています。恐らくフィリピの教会において影響力のある二人で、それぞれが自らの家を解放し、そこに信徒たちが集まっていた、そのような家の教会の集まりが、フィリピの教会として認識されていた、ということでしょう。
続く3節にある「この二人の婦人」ですが、エボディアとシンティケのことです。この二人を「支えてあげてください」、すなわち「助けてあげてください」とパウロから頼まれているのが、「真実の協力者」と呼ばれている人物です。この人物について、誰であるのかはわかっていません。ただ、「スーズーゴス」という人名だったと解釈できないわけでもないようです。もっとも、そのような人物の存在は知られていません。単語としての意味は、「くびきを共にする者」だと言われています。くびきというと、たとえば牛を二頭、首のところでつないで農作業などに当たらせる場合の器具を指します。そこから派生して、束縛を意味したりすることもあるようです。ここでそのようなことが想定されているかどうかはわかりませんが、いずれにしても、この「真実の協力者」とパウロに呼ばれている人物は、フィリピの教会と密接に関係し、彼らを助ける働きをする存在でした。「この二人の婦人を助ける」とは、うまく彼女たちを支えながら、対立構造から脱して、家の教会の集まりであるフィリピの教会が、その家ごとに対立したり、分離したりすることのないよう、助け支える、ということだったのでしょう。現代の、ますます分断が広まっているこの世界において、それを促進してしまうのではなくて、何とか互いに融和し、和合して暮らしていける方向に進めていくことはたいへん重要なことになっていくと思われます。今の時代も、まさにこの「真の協力者」が必要なのです。
「いのちの書」とは、旧約聖書から知られている、神の民の名前が記されている書で、言ってみれば天国の住民名簿のようなものである、と説明されることもあります。私たちも、イエス様によって救われて、そこに名前が記されていることに感謝したいと思います。
4節でおもむろにパウロは「主において常に喜びなさい」と言い出します。更に、「重ねて言います。喜びなさい」と筆を進めます。「重ねて言います」とは、「もう一度言います」ということです。なぜそこまで喜びを強調するのか。あとの節に、その喜ぶべき理由が特に書いてないので、前の節からのつながりを考える必要があります。そうしますと、やはり私たちが「命の書に名が記されている」ということが、この喜びの土台となる、と考えることが出来ます。
この命の書は、旧約聖書由来でありますが、新約聖書のほかの箇所でも言及されておりまして、たとえば黙示録の3章5節では、「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す」と言われています。これは、サルディスにあった教会に、イエス様が語っておられる御言葉です。これは、迫害の時代にあった信徒たちに、救いが決して変わらない、ということを伝えるために語られた励ましの御言葉でした。すなわち、救いの確信を与える御言葉だったのです。
「命の書」とは、そのように、私たちの救いに、その確信に関わる重要なものです。そこに自分の名が記されているとは、何と喜ばしいことでしょうか。そこで、パウロは二度も繰り返して、「主において常に喜びなさい」「喜びなさい」と言っているとも考えることができるのです。私たちも、この御言葉を受け取り、大いに喜びましょう。私たちの名前が、天にある住民名簿に記されているのです。私たちの救いは、確かです。
しかも喜ばしいことに、今日はこのあと、私たちの救いの確証としての聖餐式が用意されています。そこでは、「キリストご自身がこの礼典の中においでになり、わたしたちのすべての罪をおゆるしになった確証として、ご自身のからだと血とを、わたしたちに与えてくださることを、信じなければなりません」と語られます。天にある命の書に名前が記された私たちが、この世にあってその歩みを続ける中で、親しくイエス様ご自身のからだと血をいただき、それに力づけられて、私たちは救われているんだ、と信じ続ける勇気をいただく。このように、「本当にこんなで私は救われているんだろうか」と迷う理由は探せばいくらでもあるこの世での歩みにおいて、何とかして私たちに救いの確信を得させようと、イエス様が何くれとなくお気遣いくださっていることに、感謝したいと思います。
このように、今年の御言葉である6節に行くまでに、だいぶ時間を費やしてしまいましたが、何しろこの4節は、フィリピの信徒への手紙全体においても重要で、その主題なのではないかとも言われるぐらいですから、いくらそれについて語っても、語りすぎる、ということはないと思われます。
さて、5節はごく簡単に触れるだけにしたいと思いますが、後半の「主はすぐ近くにおられます」は、距離としての近さだけでなく、時間的な近さも表しますので、どちらの意味なのか、というところが難しいところです。大概は、パウロがイエス様の再臨をすぐにでも起こることとして熱望していたことを考え併せ、これはイエス様の「再臨が」近い、という意味だ、と解釈されます。もちろんそれもあるでしょうし、イエス様がすぐそばにおられる、という意味でもありましょう。
そして、いよいよ今年の御言葉、6節に入ります。冒頭で申しあげました通り、本日開いている箇所は、「勧めの言葉」とタイトルがつけられているように、まず「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい」という勧めが目に留まります。文法的には、これは命令です。「ずっと思い煩うな」という、継続的な命令です。「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ」は、単独の勧めではなく、「何事につけ、感謝を込めた祈りと願いによって」、という手段を表すフレーズになります。そして、この節のもう一つの勧め、「求めているものを神に打ち明けなさい」が来るのです。これは、「知らせなさい」「わかっていただきなさい」という、こちらも継続的な命令です。
「思い煩うな」と言われても、ふつふつと次から次へと思い煩う思いは湧いてくるものです。その原因となるものは、私たちの周りにいくらでもあるのです。相次ぐ値上げによる終わらない物価高、世界情勢への危惧、国内のことでは、頻発する地震や降ってわいたような選挙。そのような外側のことばかりでなく、内側では、自分の性格に対する悩み、健康の悩み、人間関係のもつれ、先のことを考えると眠れないような不安、ここに言い出したら切りがないほどです。突然降ってわいたような、許容量を超えたような役割を、どうこなしたらいいか。それを無事果たせるのか。そのようなことを考えだしたら、また眠れなくなるような思いです。教会は70周年を迎えますが、ではこれから先の10年、20年は希望ばかりかと言えば、決してそうではありません。そのことも、思い煩いにつながらないとは言い切れないのです。要するに、人は努力なしに、いくらでも思い煩うことができる、ということです。
だから、逆に言えば、「思い煩わないで」と言われても、「どうしたらそれができるのですか」と問いたくなるような思いです。膝が悪くなるからこれ以上ウォーキングはしないで、と言われたら、本当は運動のために、あるいはやせるために、歩きたくてうずうずしていても、とにかく安静にするように、ということで、もちろん、この安静にする、というのもなかなか難しいもので、つい動いてしまう、ということはあるのですけれども、でもとにかく、歩かない、動かない、と、からだの動きのことはある程度自分で制御できます。しかし、「思い煩い」に関しては、これは心のことですから、からだのように簡単には制御できません。リラックスするつもりでテレビを見出しても、ふと考え事をし出して、気づいたらテレビの内容など全然頭に入ってこなくて、ただ「あれはどうなるだろう、これはどうしよう」と、いつの間にか思い煩いに浸っている、などということもあり得るのです。
もう、こればかりは特効薬はなく、ただひたすら祈る、だから、「求めているものを神に打ち明けなさい」と言われているのだ、ということにもなるでしょう。また、直前の御言葉からのつながりで、主はすぐ近くにいてくださるのだし、その再臨も近いのだから、思い煩うな、ということでもありますから、主イエス様を強く信仰において意識して、イエス様がおられるのだから、そしてすぐ迎えに来てくださるのだから、思い煩わないようにしよう、と自らに言い聞かせるのも大事です。また、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、」と言われていることから、思い煩いから私たちを遠ざける一つの鍵として、この「感謝」ということも挙げられるでしょう。人は感謝しながら、同時に「どうしよう、どうしよう」と思い煩うことはできません。「神様が、この業に私を任じてくださったのだから、感謝しよう」と感謝の思いを持つときに、私たちは思い煩いから解放されていくのです。
思い煩いから解放され、心にある強い願いを神様に打ち明け、知っていただければ、私たちの心には平安が来ます。そこで、最後に7節で、「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」と言われているのです。この御言葉をもとに、ルーテル教会の説教の後には、「人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン」という祈りが添えられることがあります。ここで、「あらゆる人知を超える」とは、「すべての理解を超えた」という意味でもあります。この人生には、そしてこの広い世界には、私たちの理解を超えたことがいくらでも起こります。人間の理解できる範囲は限られています。それをはるかに超えた神様が、私たちに平安の心を与えてくださるのです。
私たちは、何とか私たちに救いの確信を持ってもらおう、と配慮してくださる主イエス様に取り囲まれています。主は近いのです。その中で、思い煩いから解放され、平安のうちに歩めるよう、神様は働いていてくださいます。その人知を超えた大いなる神様の平安が、私たちを守ると約束されています。そのことに感謝を込めて、大いに喜びながら、総会の時を過ごし、また、この一週間を過ごしてまいりましょう。
お祈りします。
天の父なる神様。あなたの御名を賛美します。今朝もこのように、礼拝の時を導いてくださり、感謝いたします。午後に総会のあるこの朝、今年の御言葉から学んでまいりました。あなたが私たちの名前を天にある命の書に書き記していてくださり、救いを確かなものとしていてくださることに改めて感謝します。そのことのゆえに、喜びながら歩めますように。また感謝を込めて祈りと願いをささげることで、どうか私たちが思い煩いから解放されますように。弱さを覚えている人々に、あなたの力が顕されますように。
尊い救い主、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
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・本日は昼食会後、第53回教会総会です。そのあと、新役員会です。





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