聖書交読 詩編22編20~29節 (旧約p853)
司)20:主よ、あなただけは/わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ/今すぐにわたしを助けてください。
会)21:わたしの魂を剣から救い出し/わたしの身を犬どもから救い出してください。
司)22:獅子の口、雄牛の角からわたしを救い/わたしに答えてください。
会)23:わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します。
司)24:主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
会)25:主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。
司)26:それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
会)27:貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。
司)28:地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。
全)29:王権は主にあり、主は国々を治められます。
【聖書朗読】ガラテヤ3章23~29節(新約p346)
23:信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
24:こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
25:しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
26:あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
27:洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
28:そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
29:あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
【礼拝説教】「キリストに結ばれて相続人に」 橘内玲子師
ガラテヤの信徒への手紙が書かれたのは、パウロからイエス・キリストの福音を聞いて信じたガラテヤの信徒たちが、十年程の年月を経た時に、律法主義に戻ろうとしていたからでした。パウロは律法に熱心だっただけに、律法だけでは義とされないことをよくわかっていました。イエス・キリストへの信仰によってのみ、わたしたちは義とされ、キリストに結ばれて神の子また相続人として頂けることを伝えたかったのでした。
⓵律法だけでは義とされない 律法はキリストのもとに導くまでの養育係
ガラテヤの信徒への手紙 03章 23節
【信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。】この「信仰」は22節のイエス・キリストへの信仰。
律法とは神様からの教えと戒めですが、3章19節では、【律法とはいったい何か。律法は約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもの】、つまり、律法とはイエス様が来られるときまでという期間限定であり、旧約聖書からの戒めに人々が違犯していることを明らかにするために書かれました。ですから、23節にありますように、人々は【律法の下で監視され、閉じ込められていました。】律法の実行によっては、だれ一人として、義、正しいと認められないのです。24節にありますように、【律法はキリストのもとに導く養育係と書かれています。】養育係は学校まで連れて行く働きをしていました。律法はキリストのもとに導くまでの働きなのです。
世界の歴史において、紀元前と紀元後と表現されますが、イエス・キリストの出現の前と後で、歴史的な名称、呼び方が変わったように、律法に閉じ込められていた時代から、イエス・キリストの出現によって、律法から解放された時代へと変えられていきました。イエス・キリストへの信仰によって義とされる時代へと変わっていきました。
マタイ5章17節にあるように、【イエス様がこの世に来られたのは律法を廃止するためでなく、完成させるため】です。イエス様が律法を完成させる、成就されたので、私たちは律法の示す行いを完成させる必要はありません。イエス・キリストへの信仰によって律法から解放されたと言えます。また、ローマ3章31節には、【わたしたちの信仰によって、律法を確立するのです】と書かれています。
②信仰によって義とされる 信仰義認はルーテル教会で大切
ガラテヤの信徒への手紙 2:16
【人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、キリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。】
信仰のみによる義認は、ルーテル教会において中心的な教理です。ルターは16世紀初頭当時のカトリック教会の腐敗を、行為義認(善行によって神は人を義とする)説に由来するものと考え、これに対して、人は善行ではなく信仰によってのみ義とされると、ガラテヤの信徒への手紙やローマの信徒への手紙によって説きました。ローマの信徒への手紙に(3:21)【イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。】
パウロはユダヤ教に律法に徹しようとしていました。そのパウロが、先祖からの伝承つまり律法を人一倍熱心だったからこそ、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないことを示されました。これは、パウロとルターの共通点であると言えます。ルターも修道士として、人一倍熱心に律法の実行に努力を積み重ねていたからこそ、律法の実行では義とされない、正しい者とは神様から認めてもらえないことに苦しんでいました。人間の側が努力を積み重ねて、神様からご褒美として獲得する義ではなく、神様の恵み(上から下へ)によって、イエス・キリストを信じることによって受け取ることのできる義いうことが原動力となりました。
③キリストに結ばれて神の子、相続人 26節~29節
神様が積極的に歴史に介入されました。それこそが、二千年前の十字架の出来事です。
ガラテヤの信徒への手紙 04章 04節
【しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。】
26節、神様はわたしたちを神の子とするために、イエス様を遣わして下さいました。律法の命じる通りに完全には行うことができない私たちのために、身代わりに十字架にかかって、罰を受けて下さいました。このようにして、わたしたちを神の子として下さいました。わたしたちがキリスト・イエスに結ばれていないとしたら、神の子ではあり得ません。神様がわたしたちをキリスト・イエスに結びつけて下さいました。
27節、洗礼を受けるということは、罪が洗い流されて新しい命を生きることになりますが、具体的にはキリストの品性、キリストのご性質を身にまとう者のとして頂けるのです。
28節、ユダヤ人とギリシア人とは全く異なるのですが、キリストを着ている者としてキリスト・イエスにおいて一つ、一致できるのです。
29節、キリストに結ばれてキリストを着ている者は、アブラハムの子孫つまり、神様に選ばれた民であり、相続人つまり、神様の祝福を受け継ぐものであると約束されています。アブラハムに与えられた祝福がキリスト・イエスにおいて、異邦人に及ぶために、十字架の贖いがなされました。
キリストに結ばれて、相続人、つまり神様の祝福を受け継ぐ者であるということに感謝をして、今週も歩んで参りましょう。
【報告】
・今日は父の日です。お父さんたちに感謝します。
・本日午後一時から音楽発表会です。久しぶりに父の日に戻ってきました。
皆様が今週一週間も平和のうちを過ごされますように
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