【黙祷】皆さんおはようございます。それでは礼拝に先立ち、しばらく黙祷の時といたしましょう。
只今より、2022年5月8日、復活節第四主日の礼拝を始めます。
【讃美歌】 12番 起立
1
めぐみゆたけき主を ほめたたえまつれ、
そのみいつくしみは ときわにたえせず。
すくわれしみたみよ、 おごそかにうたえ、
「あわれみとまことは かわることなし」と。
2
なやみせまるときも み名をよばわれば,
主はこたえたまいて、 この身をばすくい、
いとひろきところに いこわしめたもう。
主ともにましませば われにおそれなし。
3
くつるものをすてて、 みくににあこがれ
ひとにたよらずして みちからをたのみ、
わがすくい、わが主を つねにしたいつつ、
よろこびのうたもて 御名をほめたたえん。
アーメン
交読文 詩編23編 (旧約p854)
(司会)1節【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
(会衆)2節 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
(司会)3節 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
(会衆)4節 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
(司会)5節 わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
(全員)6節 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。
【祈祷】 (一例。実際の礼拝では、司会者が自由祈祷)
天の神様。この朝をありがとうございます。
あなたの恵みの御手の中で先週一週間を過ごし、
このように主の日にまた集まって、
あなたを礼拝することができてありがとうございます。
この礼拝で永遠の神のことばを聞く方々おひとりおひとりに、
導きと祝福をお与えください。
また、礼拝で奉仕する人々を祝福してくださり、
聖霊なる神のご臨在の中で、奉仕が全うできますように。
新型コロナウイルスも感染拡大が収まってきているようで感謝です。
これからも安心安全の中で礼拝が続けられるためにも、
感染再拡大がありませんように助けてください。
また、ロシアがウクライナに軍事侵攻していくことで、
今までのつながりが分断されて、
孤独と恐怖の中におられる方もあるでしょう。
このような日々、福音によって慰めと励ましがありますように。
どうか主の教会を守ってくださり、
それぞれの地での礼拝を祝福してください。
この礼拝の初めから終わりまで、あなたのみ手にゆだねます。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
【讃美歌】 154番 起立
1.地よ、声たかく 告げ知らせよ
きょうイェス君は よみがえれり
いのちの君は あまつ園に
われらを召して 入れたまえり
2.とこよのひかり てりかがやく
みくらにいます 君を仰がん
あめより漏るる かちうたにぞ
地なるわれらも 声をあわせん
3.あめよ、よろこべ つちよ、うたえ
ものみなともに ほめたたえよ
イエス君きょうぞ よみがえれる
ああかぎりなき さかえの日よ
アーメン
【信仰告白】 使徒信条 起立
われは、天地のつくりぬし、父なる全能の神を信ず。
われは、そのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受うけ、十字架につけられ、死して葬られ、よみにくだり、
三日目によみがえり、天にのぼり、父なる全能の神の右に座したまえり。
生ける人と死にたる人とをさばかんがため、かしこより再び来たりたまわん。
われは聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。
ア-メン。
聖書朗読 ヨハネ10章22~30節(新約p187)
22:そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。
23:イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。
24:すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」
25:イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。
26:しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。
27:わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
28:わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
29:わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。
30:わたしと父とは一つである。」
礼拝説教 「聞き分ける耳を」 橘内明裕師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン
しばらくお休みを取らせていただきました。牧師になって初めてのことです。いろいろとご心配おかけしたり、ご迷惑おかけしたりいたしました。お詫び申し上げます。今日から少しずつ、いつもの形に戻っていけたらと思っております。よろしくお願いします。
さて、もう5月も2週目の日曜日となり、季節も春からもう初夏へと向かっていく頃となってきました。しかし、今日の聖書の箇所の季節はだいぶ違うようです。時は冬でした。イエス様は神殿の境内におられました。この時「神殿奉献記念祭」であったと言われていますが、新改訳までは「宮きよめの祭り」と言われていました。ユダヤの祭りを大事にし、それを軸に福音書を書いていったヨハネらしく、祭りが舞台背景となっています。この祭りですが、イエス様の時代から100年以上も前、ユダヤ教を迫害する者の手から神殿を取り戻してきよめた出来事を記念した祭りでした。それが、ユダヤで言う9月、キスレウの月のことで、私たちの暦ではだいたい12月にあたる、と言われています。その頃のユダヤは太陰暦だったので、季節がずれるのです。
冬。イスラエルの現代の12月の気温は、3度を下回ることはめったにない、と言われますので、日本と比べたらどうなのでしょうか。いずれにせよ、寒い時期というのはどうしても身も心も縮こまりやすいと言いますか、伸び伸びと信仰を養うには条件の良くない時期なのかもしれません。今日の聖書箇所でも、イエス様の「あなたがたは信じない」(26節)ということばが聞こえてきます。
季節の意味での冬だけでなく、人生の冬のような時期、どうしても後ろ向きになってしまうような、厳しい現実に突き当たってもがいている時期にはなかなか信じにくいようにも思います。
この時イエス様のもとにユダヤ人が集まってきて、イエス様に詰め寄ります。どうも彼らには、イエス様の動きが自分たちの思っているペースと異なるので、かなりいらだっていたようです。
「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」(24節)
本当に彼らはメシアを求めていたのか。イエス様がメシアであってほしいとどれだけの人が願っていたのか。「メシアなら、はっきりそう言いなさい」という言い方からすると、とてもではありませんが、彼らが本当にイエス様をメシアとして歓迎しようとしていたとは思えません。メシアであるイエス様の方が格が上、というよりは、自分たちの都合でメシアを動かそうとするような思いすら感じられます。要するに、自分たちの方が上、ということです。
もう少し進むと、ここに「気をもませる」あるいは「気をもむ」という、聖書に出てくるとは思えないような言葉が使われています。しかしこの単語、実は少し前、ヨハネの福音書10章の18節にある、「命を奪い取る」というフレーズの「奪い取る」と同じ単語なのです。一方で、イエス様を亡き者としようとしてイエス様に襲い掛かろうとする動きを表し、もう一方では、イエス様が何者か、メシアであるのかどうか知りたくて知りたくてじりじりしているユダヤ人たちの思いを表しているのです。
この、何か殺伐とした、イエス様のことを大事に想うことなく、むしろ敵対するようなこのユダヤ人たちの思いと行動は、ある意味であたかも冬のように厳しい、と言えるかもしれません。人間の持つ悪い方の可能性、人間ここまで冷たくなれるのだ、というところが現れ出てしまっているかのようです。
ただ、それを見越して、イエス様は私たちに「聞き分ける耳」を与えていて下さいます。イエス様は、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とおっしゃいました(27節)。このように断言しておられるのは、いま開いているのと同じ章の3,4節に記されているイエス様ご自身の言葉に基づいています。
「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く」(3,4節)。
ここで羊飼いはイエス様、羊はもちろん私たち人間です。冬の厳しさのように、イエス様に冷たい態度を取ってしまう可能性のある人間です。そうであるにもかかわらず、イエス様は私たちの名前を親しく呼んでくださいます。それは、あのモーセが、ミデヤンの地でエジプトのイスラエル人を助け出すよう召された時、せっかく主なる神様ご自身が呼んでくださっているにも関わらず、やれ口下手だの、ほかの人にしてくださいだのと、すぐにはっきり返事が出来ない、どこか熱くなりきれない、生ぬるい思いを持つ人物でしかなかったのに、それでも親しく、「モーセ、モーセ」と二度繰り返しその名前を呼んでいただいたのを思い起こさせます。人間の持つその冬のような冷たさ、それをも乗り越えて、イエス様は羊飼いとして、私たちの名前を呼んで下さる。その時、私たち人間はその声を聞き分けることが出来るというのです。
このように、私の力でも、深い内側の精神性でもなく、外側からイエス様が私たちにイエス様の言葉を聞き分ける耳を与えていて下さる。まずそのことに安心し、感謝をしたいと思います。
ところで、「聞き分ける」ということは、イエス様の言葉とそうでないものを「区別する」ということですが、実は創世記冒頭にある天地創造の御業は、「区別する」働きでした。「神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」(創世記1章4節)とあるように、光と闇を、昼と夜を区別された天地創造の御業。その「区別する」ということが、ここでイエス様が私たちに与えて下さる「聞き分ける耳」につながっています。偉大なる天地創造の御業は、区別する、という意味合いで考えるとき、私たちから遠い出来事ではなく、実は私たちがイエス様の声を聞き分ける、ということを通して、私たちにも身近なこととして関係があるのです。
その天地創造の御業の時、御子イエス様は父なる神様と共に、その偉大なる御業に携わられました。その時の一致した姿、それはまさに、今日の聖書箇所の最後にある大事なみことば、「わたしと父とは一つである」(30節)というみことばの土台として、たいへん重要です。それがあってこそ、イエス様は確信をもって、大胆に、「わたしと父とはひとつです」とおっしゃることができたのです。このみことばは私にとってたいへん印象的で、信じていくプロセスの中で、イエス様と私、あるいは私にとってイエス様はどういうお方なのか、ということを整理する上で、非常に重要でした。イエス様が父なる神様とひとつである、すなわち同等の神である、とこのみことばから教えられ、このお方を信じてついて行って大丈夫なのだ、と確信を持つことが出来ました。
さあ、私たちは羊として、飼い主であるイエス様の言葉を聞くのです。この喧騒に満ちた世の中で、ともすると新型コロナウイルスの変異株のこと、ウクライナとロシアのこと、災害や事故のこと、そういったことばかりが私たちの耳に入ってくるような中で、本当にイエス様の声を聞き分けることが出来るのかと、不安になるかもしれません。しかし、イエス様の声を聞き分ける耳を与えて下さるのはイエス様ご自身だ、というのが、今日のみことばから導き出される結論です。今週はそのことを念頭に置いて、自分の力で聞き分けなければならないのではなく、イエス様がご自身の言葉を聞き分けることが出来るようにしてくださる、というところに立って、安心して過ごしていきたいものです。
お祈りしましょう。
天の父なる神様、
「わたしと父とは一つです」という御子イエス様の言葉の中に、
ご自身を現して下さり、親しく私たちと出会って下さることを感謝します。
何か殺伐とした、冬のように冷え切った私たちの心を、
イエス様の愛と、そのみことばによって温めて下さることを感謝します。
そのみことばを、私たちが必死になって聞き分けるのではなく、
イエス様が私たちに、聞き分ける耳を与えて下さると知って、安心しました。
そのように、聞き分ける耳を与えられていることに感謝して、
今週も歩んでいけますように。
私たちの新しい一週間の上に起きる様々な物事の中で、
たとえそれが困難な出来事で、人生の冬のような経験をするときにも、
共にいて、イエス様のみことばを聞かせてください。
イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
【讃美歌】 291番 起立
1
主にまかせよ、汝(な)が身を、
主はよろこび たすけまさん。
しのびて 春を待て、
雪はとけて 花は咲かん。
あらしにも やみにも
ただまかせよ、汝が身を。
2
主にまかせよ、汝(な)が身を、
主はよろこび たすけまさん。
なやみは つよくとも
みめぐみには 勝つを得じ。
まことなる 主の手に
ただまかせよ、汝が身を。
アーメン
【献金】 ご家庭で礼拝なさる方も、できる限り、それぞれ工夫して、ささげものをする時を持ちましょう。
(献金箱の代わりになるようなものを用意し、そこに献金し、教会に来れるようになった時、
それを持参する、など)
献金の感謝のお祈り (一例 実際の礼拝では、奉仕者が自由祈祷)
憐れみ深い神よ。
あなたは、私たちに恵みと愛のしるしとして、
私たちの思いを越えた多くの賜物を日ごとに備えてくださいます。
私たちは私たち自身と賜わったすべてのものを喜びと感謝をもってささげます。
私たちのためにご自身をささげられた主イエス・キリストのゆえに、
私たちのささげるすべてを受けいれてください。
あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められる
み子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン
【主の祈り】
天にまします、われらの父よ。
ねがわくは、御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもならせたまえ。
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日もあたえたまえ。
われらに罪をおかすものをわれらがゆるすごとく、
われらの罪をもゆるしたまえ。
われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン
【頌栄】 545番 起立
父の御神に 御子に 清き御霊に 昔ながらの 御栄えあれや ときわに アーメン アーメン
【祝祷】
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン
【後奏】
【報告】
・イースター献金ですが、目標額の9割近くまで満たされました。感謝してご報告します。
・先週は久々に大掃除があり、それに伴い昼食会が開催されました。感謝です。そのあと役員会がありました。
・長引くウクライナ情勢ですが、そこに主の働きかけがあり、「地には平和」とのみことばが実現しますように。
・主の癒しと支えが必要な方々に主の尽きない憐れみと慈しみがありますよう、続けてお祈りいたしましょう。
皆様が感染から守られ、平安の内に毎日を送られますように
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