【聖書交読】詩篇98編(旧約935頁)
司)1:【賛歌。】新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって/主は救いの御業を果たされた。
会)2:主は救いを示し/恵みの御業を諸国の民の目に現し
司)3:イスラエルの家に対する/慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は/わたしたちの神の救いの御業を見た。
会)4:全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
司)5:琴に合わせてほめ歌え/琴に合わせ、楽の音に合わせて。
会)6:ラッパを吹き、角笛を響かせて/王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
司)7:とどろけ、海とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものよ。
会)8:潮よ、手を打ち鳴らし/山々よ、共に喜び歌え
全)9:主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き/諸国の民を公平に裁かれる。
【聖書朗読】ルカ21章5〜19節(新約151頁)
5:ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
6:「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
7:そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
8:イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。
9:戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」
10:そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
11:そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。
12:しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。
13:それはあなたがたにとって証しをする機会となる。
14:だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
15:どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。
16:あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。
17:また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
18:しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
19:忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
【説教】「聖霊降臨後最終主日に向けて」
宗教改革主日、全聖徒主日を経て、「聖霊降臨後」で始まる名前の主日に戻りましたが、もう来週は「聖霊降臨後最終主日」で、信仰の成長を図る緑の季節、そして教会の暦の一年の最後を迎えます。待降節からはもう教会の暦の新しい一年が始まります。そのような中、来週の聖霊降臨後最終主日に池上先生をお迎えすることは、信仰の成長の季節の締めくくりとして、その仕上げの時として重要です。その、聖霊降臨後最終主日に向かっていくたいせつな備えの時を過ごしていることになります。
聖霊降臨後最終主日には、終末の時について学びます。それに向けて、今日の福音書の箇所も、終末に思いを馳せる内容となっています。壮麗な神殿も、世の終わりの時には跡形もなく崩れ去ります。そのことからすると、終末の時とは、それまで堅固であり、より頼むことができると思っていたものが崩れ去り、もはや頼ることができなくなる時であることがわかります。
本日の福音書では、ある人たちが神殿のすばらしさを語っていると、イエス様が「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」とイエス様が終わりの日のことを暗示しています。ここで人々は、今あるものに見とれているのです。ある意味でこれは今の私たちに似ています。そう思っていなくとも、どこかで私たちは、この世の今あるものに見とれてしまっているのです。「見とれる」とは、「注意深く見ている」「じっと見ている」という意味です。あたかも、試合の行方がどうなるか、熱心に見詰めているスポーツ観戦者のようです。その動向が気になって仕方がないのです。今私たちは、この世界がどうなるのか、じっと見詰めているのです。
その中で、今ウクライナとロシアが争っているが、それはまさに「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」という状況です。続いて、「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」と言われていて、このことがすでに実現していることを示すいろいろな証拠を私たちは携えており、まさにこのみ言葉が語っている状況に当てはまることに気が付きます。
けれども、それですぐ終りが来る、というわけではないのです。マタイでは、「しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである」(マタイ24章7節)と言われています。一足飛びに終わりになって楽になる、というのではなく、今を大切に生きることが大事だと言われているのではないでしょうか。
私たちが確かなものだと思いこんでいたものがもろくも崩れ去るその時、イエス様によって示された揺るがない神様を信じていることができるか。そのことが、大きな課題です。それでなくても、本日の福音書には、世の終わりに向けて困難な時代になると言われています。もはや自分の力に頼ることは出来ません。聖霊降臨後最終主日に向けて、私たちは自分の内にではなく、神様の内だけに希望を見出すのです。
最後に語っておられるイエス様の言葉が実に印象的です。「忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい」。このことばを、イエス様から最初に聞いた人々は、どう受け取ったのでしょうか。「勝ち取れるかどうかわからないけどとにかくやってみたら」、ではなくて、「確実に勝ち取れるから、一緒にやってみよう」と聞いたのではないでしょうか。すなわちこれは、イエス様が私たちを、命を勝ち取ることができるようにしてくださる、ということにほかなりません。そもそも、その前の「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」(18節)という御言葉で、命を勝ち取ることができることがわかります。また今日は聖餐式がありますが、それこそ、命を勝ち取ることができることの約束であり、確証なのです。
お祈りしましょう。
私たちに命を与えてくださった神様。
この週の初めの日に、
あなたの前に出で礼拝の時を与えてくださり感謝します。
教会の暦が聖霊降臨後最終主日に向かって進んでいく時、
一時この世の終わりについて思いを馳せるように導かれました。
時に恐怖を覚えるようなテーマではありますが、
あなたが私たちの髪の毛一本もなくならないと固く約束してくださいましたので、
戦争や地震の知らせが絶えない昨今であり、
ますます時代は困難な方向に向かっていく気配はありますが、
あなたが私たちを守ってくださり、
最終的には命を勝ち取ることができるようにしてくださると信じて、
感謝します。
あなただけに希望を抱き、
この毎日の暮らしを一日一日と積み上げていくことが出来ますように。
イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
【報告】
・来週は秋の特別礼拝です。ゲスト説教者は池上安先生です。昼食会があり、午後はクリスマス飾り付けをします。青年会主催の聖書研究会もあります。
・来週が聖霊降臨後最終主日、それで教会の暦の一年の終わりを迎えて、次の週から待降節、教会の暦の一年の始まりです。
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