top of page

2026年10月11日 聖霊降臨後第20主日

執筆者の写真: 明裕 橘内
明裕 橘内
2 日前
読了時間: 12分

聖書交読 フィリピ4章1~9節(新約p365)

司)1:だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。

会)2:わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。

司)3:なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

会)4:主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

司)5:あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

会)6:どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

司)7:そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

会)8:終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

全)9:わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

 

聖書朗読 イザヤ25章1~5節(旧約p1097)

1:主よ、あなたはわたしの神/わたしはあなたをあがめ/御名に感謝をささげます。あなたは驚くべき計画を成就された/遠い昔からの揺るぎない真実をもって。

2:あなたは都を石塚とし/城壁のある町を瓦礫の山とし/異邦人の館を都から取り去られた。永久に都が建て直されることはないであろう。

3:それゆえ、強い民もあなたを敬い/暴虐な国々の都でも人々はあなたを恐れる。

4:まことに、あなたは弱い者の砦/苦難に遭う貧しい者の砦/豪雨を逃れる避け所/暑さを避ける陰となられる。暴虐な者の勢いは壁をたたく豪雨

5:乾ききった地の暑さのようだ。あなたは雲の陰が暑さを和らげるように/異邦人の騒ぎを鎮め/暴虐な者たちの歌声を低くされる。

 

説教 「神様という砦」

 

説教に先立ち、皆さんを祝福する短いお祈りをいたします。最後はご一緒にアーメンとご唱和ください。

 

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、

恵みと平安があなたがたにありますように。アーメン

 

 先週は予算総会でした。その前の大事な礼拝として、今年の御言葉であるフィリピの信徒への手紙4章6節の御言葉を含む箇所を開きました。今日はちょうど聖書日課の使徒書の箇所がフィリピの信徒への手紙4章1節から9節で、改めて今年の御言葉に触れることができました。説教の聖書箇所としては、聖書日課の旧約の箇所の、イザヤ書25章1節から5節を開きました。今日はこの箇所から、私たちを守ってくださる神様の恵みを味わってまいりましょう。

 

この部分は、イザヤ書の24章から27章までのまとまりの中に含められています。一般的な審判と約束が述べられており、その中に4つの説教がある、と分析されています。今日開いている25章はその4つの説教のうち第二番目の説教で、特に今日開いている1節から5節は、オズワルトという研究者によって、「誠実あふれる神の恵みに対する感謝の歌」とタイトルが付けられています。新共同訳聖書では、10節までに「神の驚くべき御業」というタイトルを付けています。

 

この箇所は、1節の「主よ、あなたはわたしの神/わたしはあなたをあがめ/御名に感謝をささげます」とあるように、主なる神様への感謝の言葉から始まっています。先にも紹介したオズワルトが、この部分を「感謝の歌」と命名したとおりです。

 

ただ、この感謝の言葉の背後には、2節の「あなたは都を石塚とし/城壁のある町を瓦礫の山とし/異邦人の館を都から取り去られた」という悲惨な状況があります。感謝しやすい状況で感謝をささげます、と言われているのではないのです。本来であるならば、「なぜこの都は破壊されたのか」と嘆くべきところ、その嘆きの言葉ではなく、感謝の言葉を述べているのです。

 

私たちの状況はどうでしょうか。毎日が感謝できることばかりではないでしょう。悩んだり、迷ったり、体調が悪かったり、物事がうまく進まないことも多いわけです。そのようなとき、私たちの口からはどんな言葉が出るでしょうか。「うまくいかない」とそのまま口に出してしまうのか、それとも、このときのイザヤのように、感謝の言葉を口にするでしょうか。

 

1節後半では、イザヤが主を賛美する理由も明らかにされています。「あなたは驚くべき計画を成就された/遠い昔からの揺るぎない真実をもって」。これが、イザヤが主を賛美する理由です。自分の身の回りに、自分に都合の良いことが起こったから、感謝しているのではないのです。都には破壊があります。その影響は自らの身にも当然及んでいます。そのような中でも、主が昔からの計画を成就され、それで主の真実があらわれたのだから、それでいい、私は感謝する、という信仰です。いかがでしょうか。今日私たちはこのイザヤの信仰から、何を学ぶでしょうか。

 

2節について、先にその前半から、都の破壊という状況が語られている、とお伝えしましたが、後半では、「永久に都が建て直されることはないであろう」と言われています。ここで繰り返し言われている「都」はどこのことなのか。今私は神戸ルーテル聖書学院の旧約の授業でエレミヤ書を取り上げているので、詳細に読んでおりますが、そこでは「この都」と特定されて、エルサレムのことを指しています。しかし、イザヤ書のこの箇所では、歴史上の特定の都、都市を指すのか、権力を誇りとする都市を象徴的に表すのか、どちらとも言い難いようです。

 

2節で描かれている状況が、当時のどの都市の破滅の状況を表していたか、ということよりも、人が頼りにするものが打ち崩されたのだ、ということを知ることが重要です。頑丈な城壁があれば、その都に住んでいることは安心をもたらすでしょう。その堅牢さを誇るかもしれない。しかし、その誇りは主の前に打ち崩されるのです。城壁が人を守るのではない。主なる神様が、人を守るのです。ですから、ここでは自ずと、人の目は主なる神様の方に向けられる。主に対する健全な信頼を取り戻すために、敢えて都は取り除かれた、とも言えるでしょう。そう考えると、1節で語られている、主のご計画の成就とは、この都市の破壊だった、ということにもなります。

 

そのことは、イザヤはじめ、主の民だけに強い影響を与えたのではありません。3節で、「それゆえ、強い民もあなたを敬い/暴虐な国々の都でも人々はあなたを恐れる」と言われています。「暴虐な国々」は、「横暴な国々」とも訳されます。すなわち、異邦の強い民、横暴な国々も、主の都市を破壊される力強い御業を見て畏れ敬う、と言うのです。主の力は主の民にだけ及ぶのではなく、周辺の諸国にも及び、国際的な広がりを持つ、ということです。

 

そしていよいよ、本日の説教の題にも含まれている、「砦」という言葉が出てまいります。「まことに、あなたは弱い者の砦/苦難に遭う貧しい者の砦/豪雨を逃れる避け所/暑さを避ける陰となられる」。このように、「砦」という言葉が2回繰り返され、主なる神様が私たちの砦である、ということが強調されます。詳しく見ると、「弱い者の砦」そしてなおかつ「苦難に遭う貧しい者の砦」と言われています。もちろん、正式には、紀元前8世紀の南ユダ王国の人々に向けて語られた言葉ではあります。しかし、聖書は私たちに向けて開かれているので、誰でもそれを読んで、自らのこととして読むことができるのです。どうでしょう。さすがに、「ユダの人々の砦」となっていたら、自分に当てはめて読むのが難しい、と思ってしまいますが、ここで言われているのは、主は「弱い者の砦」、「苦難に遭う貧しい者の砦」ということです。これなら、そこに自分を当てはめることはそう難しいことではなさそうです。

 

あとは、自分を「弱い者」「苦難に遭う貧しい者」と認めることができるか、ということでしょうか。人それぞれ、大なり小なりプライドというものがあります。それは男女、年齢によって異なるかとは思いますが、誰しも他の人に、「あなたは弱い者ですね」「まったくもって貧しい者です」などと言われたら、「そうです」と言って認めることは難しいことでしょう。さあ、私たちは、自らを「弱い者」「苦難に遭う貧しい者」と認めることができるでしょうか。人から言われたら認めにくくても、静かに自分一人になって考えたとき、置かれた状況や、つい最近経験したことで、「確かに私は弱い者に過ぎない」と認めることはできるのではないでしょうか。主なる神様は、私たちがそのような方向に進めるよう、後押ししてくださいます。主なる神様によって私たちが自らを弱い者、貧しい者と認めることができて、この神様が私たちにとっての砦である、という恵みを実感していくのです。私たちの主イエス様も、心の貧しい者は幸いである、と言われました。

 

興味深いのは、この「砦」という言葉が、「避け所」そして「陰」と言われていることです。私たちの教会は、御影にあります。「かげ」の字は異なりますが、まさに私たちは、神様が陰となってくださる地にいるのです。ここで私たちは、神様が私たちを覆い、守る陰となっていてくださることを経験するのです。特に、ここには「豪雨」「暑さ」という、今年の夏私たちが少なからず経験した気象現象が指摘されています。もちろん、豪雨に関しては、私たちの地域より、千葉であるとか、そういった地方の方が、道路が冠水するほどの被害を経験しています。それでも、「暑さ」に関しては、焼けてしまいそうな、生きるのに困難と不安を感じるほどの、いやむしろ、危険を感じる、と言ってもいいほどの暑さを経験してまいりました。10月に入っても、なお私たちは日差しの強いときには、暑さを経験しています。

 

ここでは、4節の最後に「暴虐な者の勢いは壁をたたく豪雨」と言われていますから、何も本当の豪雨、ということでなくても、私たちに強く迫って来るものからの圧力、激しい言葉、そういったものも、ここに含まれる、ということを教えられます。主は「豪雨」、また「暑さ」からの陰である、と言うとき、それは私たちを襲い、砦の所で言われていたように、私たちを弱め、苦難に遭わせて貧しくするようなもの全般を指す、とも言えるでしょう。困難を極める中東情勢は私たちの日常生活をひっ迫し、具体的に値上げ、物価高、という勢いで迫ってきています。それもまた、ここで言われている「豪雨」であり、「暑さ」でもあるのです。また、私たちが恐怖を感じるもの、人の威圧感、暴力的な言動、そういったものも含まれるでしょう。そういった、ありとあらゆる、私たちを弱め、苦難へと陥れるものすべてから、主は私たちを守ろうとして、この御影の地にて、砦となり、陰となってくださる。そのことを覚えるものです。

 

もちろん、これは、私たち信じる者に、今後一切、悩みも苦しみも起こらない、ということを指してはいません。今だ、豪雨になることはあるのです。暑さも身に及ぶのです。しかし、それで私たちが害を受けることがないよう、砦となり、陰となられるのが、主なる神様であられるのです。

 

5節の1行目は、まだ私たちを襲う困難の余韻を残しています。「乾ききった地の暑さのようだ」。そのような、ヒリヒリするような痛みを経験することがゼロになる、ということが約束されているわけではありません。それでも、主に対してイザヤが「あなたは雲の陰が暑さを和らげるように/異邦人の騒ぎを鎮め/暴虐な者たちの歌声を低くされる」と言われるとき、一筋の光が見えてくるような思いがいたします。私たちはただ耐えるだけなのか。我慢するだけなのか。そうではなく、主は私たちを豪雨のように、暑さのように襲う困難から守ってくださるだけでなく、その困難を静めてくださる、とも約束しておられるのです。

 

「異邦人の騒ぎを鎮め/暴虐な者たちの歌声を低くされる」。「暴虐な者たちの歌声」とは、横暴な者たちが、自らの勝利を確信して勝ち誇る勝利の歌です。しかし、そのようなものは、全能の主のみ腕の力によって抑えられるのです。根絶される、とまでは書かれていない。しかし、豪雨がしとしとと降る雨に変われば、傘をさして出歩けるようになり、36度を超すような酷暑も、30度を切ったら何とか耐えていけるようになるものです。

 

私たちは、信じたにもかかわらず私の身には困難がある、と言っては嘆きますが、でも、主が暴虐な者たちの勝ち誇る歌声を低くされたことで、本当なら100来るはずだった困難が、50に抑えられているのかもしれない。しばしば私たちは、信じているのに風邪をひく、体調が悪くなる、と言って嘆きますが、主が押さえていてくださるから、熱が38度程度で済んだのであって、もし主の働きかけがなければ、熱が40度近くになっていたかもしれない。私たちはときどきゼロ100思考で考えてしまって、風邪を引いた、だから主は守っていてくださらない、と思ってしまうこともないわけではありませんが、風邪をひいていても主に守られている、という第三の道もあるわけです。体調が悪い中でも、そこそこ守られている、ということです。

 

教会のことも、かつての姿と今の姿を比べて心曇らせたり、今後のことに不安を募らせたりするのではなく、この状態で与えられている恵みもある、という見方が大事です。今日はともに、この御影の地にて私たちの砦となり、陰となってくださる神様に大いに感謝をささげ、希望を新たにしようではありませんか。この神様こそ、私たちに救い主イエス・キリストを送ってくださり、この方が私たちの覆いとなって、すべての罪を引き受けて、十字架にかかって私たちを救ってくださったのです。

 

人知では到底計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

 

祈り

恵み深い主なる神様。私たちを守る砦となり、苦難の中で陰となってくださることを感謝いたします。私たちは、思いどおりに物事が進まないとき、悩みや苦しみの中にあるとき、すぐに嘆き、あなたへの信頼を見失いがちです。どうか、自分の弱さや貧しさを素直に認め、あなたこそ私たちの真の砦であることを悟らせてください。

 

困難がなくなることだけを願うのではなく、困難のただ中にも注がれているあなたの恵みに気づかせてください。私たちを襲う豪雨のような苦しみを和らげ、横暴な者の声を鎮め、日々の歩みを支えてください。教会の現状や将来に不安を覚えるときにも、今ここに与えられている恵みを数え、感謝と希望をもって歩むことができますように。

 

私たちの砦、避け所、陰となってくださる主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


報告

・先週は予算総会でした。ご出席、ご奉仕ありがとうございます。

・来週は礼拝後に新約聖書の学びがあります。マタイによる福音書を読んでいます。


コメント


御影ルーテル教会

658-0047 神戸市東灘区御影3-10-5

tel: 0788420446

©2022 by 御影ルーテル教会  Wix.com で作成されました。

bottom of page