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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年月15日(火)

【本日のみことば】

9:また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。

10:彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。

11:これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。

(コリントの信徒への手紙一 10章 9~11節)


コリントの信徒への手紙一の10章と言えば、有名なのは次の御言葉です。


「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(コリントの信徒への手紙一 10章 13節)。


実はその陰で、この章にはかつて起こったことをどう理解するか、ということについて、たいへん重要な御言葉が記されているのです。それが、11節の御言葉なのです。


「これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。」


これより前には、かつて起こった、神の民が直面した苦難、困難が記されています。それらは皆、民の不信仰、そして罪によるものであったとパウロは解釈しています。そして、それらが不名誉にもわざわざ書き記されてきたのは、後の人々に対する警告のためだ、と結論付けています。


これはたいへん明快な教えで、そのような視点で過去の悲惨な出来事を受け取れば、私たちは今の身の振り方がどうあるべきかを教えられ、たいへん人生の役に立つ、ということになります。


これは、ローマの信徒への手紙にある次のような御言葉とも関連していると思います。


「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです」(ローマの信徒への手紙 15章4節)。


旧約聖書にある、神の民の罪を包み隠さず記す箇所を読んでいると、これを今私たちが読んでどうなるのか、旧約には何の意味があるのか、とふと思ってしまうこともないわけではありませんが、今日の御言葉ですっきりします。それは警告なのです。私たちを教え導こうとしているのです。それによって、私たちは希望に到達します。今年の御言葉にあるように、再び心を励まし、希望を持ってなお主を待ち望む信仰です。



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