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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年4月2日(土)

更新日:2022年4月10日

【本日のみことば】

21:わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。

(イザヤ書/ 43章 21節)


とあるドラマの「あなたの人生なのだから、後悔のないように」というセリフを聞いたりしますと、私の人生は私のもの、という思いになるのもうなずけるものです。


しかし明日の交読文の箇所の中から、「わたしはこの民をわたしのために造った」(イザヤ書 43章 21節)という御言葉を目にしますと、再考を促されます。私の人生なんだから、当然私のものだ、と思っていたら、主は「そのあなたを造ったのはわたしだ」とおっしゃる。しかも、そもそも私たちはこの主のために造られたと言われる。そうであるなら、私たちの人生は主のためにある、ということになるのです。


しかも、私たちの人生の目標とするところも、ここでは明確にされています。それは、「主の栄誉を語る」ということです。これは、「してもしなくてもどちらでもいいこと」ではなく、「語らねばならない」という言い方からして、「しなければならないこと」に属することがわかります。


このように「しなければならない」と聞くと、「それは律法だ」として敬遠する向きもなくはありません。それは間違いではないでしょう。しかし、それだけでいいのでしょうか。私たちが福音にあずかる権利があるなら、どこかに義務もあるはずです。それによって救われる、といった条件としてではなく、私たち人間を作り、愛していて下さる神様に感謝して、当然そうすべき事柄として、神様の栄誉を語る、ということがあってもいいのではないでしょうか。私たちが、神様に造られた目的の通りに生きることが出来たら幸いです。


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