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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年4月1日(金)

更新日:2022年4月10日

【本日のみことば】

1:では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。

(フィリピの信徒への手紙 3章 1節)


昨日に引き続き、フィリピの信徒への手紙を開いております。ローマの獄中で、おおよそ人が「喜び」というテーマなど考えもしないような状況の中で、パウロは「主において喜びなさい」と教えました。このことが、現代に至るまで、多くの信仰者の心をとらえて離さない要因となっています。


ここで、


 1)主において喜びなさい。

 2)同じことをもう一度書きますが、・・・


というフレーズに関してですが、1)と2)の間は途切れておらず、つながっていて、「同じこと=『喜びなさい』」ということばもあることから「繰り返して強調」している、という読み方が自然であるように思います。しかし、実は間が空いていて、その間にパウロの心を曇らせるような出来事が起こったのだ、とする説もあるようです。パウロは獄中にいたわけですから、いくらでも不穏な動きがあったのでしょう。だからこそ、それにとらわれないで、喜びの信仰を持ち続けている方が、あなたがたへの証しとなり、励ましになる=「あなたがたにとって安全なこと」、とつながるようです。


ここで特筆すべきは、パウロの徹底的な他者志向です。獄中にいて、しかも不穏な動きがあったりするわけですから、そのような時は自分の心配だけしていても許されるのではないでしょうか。しかし、パウロはそのようなことにではなく、フィリピの信徒にとって何がふさわしいか、ということに関心があったようです。


このようなお手本を前にして、同じようには出来ない自分を見出します。心がどんよりと思い時などは、こんな立派なお手本を残したパウロが恨めしく、同じようなことを要求されても土台無理だ、と嘆いてしまうこともあるかもしれません。むしろ、それでいいのではないでしょうか。「自分にはできない」、ということがわかった、ということで、一歩前進、と受け止めてもよいかもしれません。そのような自分だからこそ、イエス様を求めたのです。イエス様が必要だったのです。そのことを思い起こすきっかけになったら幸いです。


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