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  • 執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月9日

【本日のみことば】

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

(ヨブ記 1章 21節)



この前の礼拝では、報告の時間に3月お誕生の方々のお祝いをしました。私たちは、この世に生れ出るとき、何も持ってはいませんでした。その時の記憶は勿論ありませんけれども、それはわかります。ヨブが言う「わたしは裸で母の胎を出た」という言葉は本当だと思わされます。続いて「裸でそこに帰ろう」と言ったのは、自分に言い聞かせていたのでしょうか。


このヨブのことは、冒頭にて「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」(1節)と紹介されています。神様からの評価も全く同じです。8節に、「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と述べられており、このように2度繰り返されることで、強調されています。


その正しい人、ヨブが、財産ばかりか大事な家族まで失ってしまう。しかも、なぜそのようなことが起こったのか、ヨブ抜きに神様とサタンの間で勝手に話が進んでいて、ヨブの全くあずかり知らぬところで、その悲劇は起こっていく。ヨブはこの時、「なぜこうなったのですか」と問い、神様に抗議してもよかったのではないでしょうか。


しかし、あくまでヨブは無垢で正しい人でした。そのような人は、神様に抗議したりしないのです。落ち着いて、身に起こったことを受け入れるのです。勿論悲しかったでしょう。しかしヨブには、自分がどう感じるかより、神様がその時何を求めておられたか、ということを考えていました。そして、その時、神様が財産や家族を取り上げることを必要としておられたなら、それに従うだけだ、と思ったのです。それで、有名な「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(21節)という言葉が口から出てくるのです。


主は私から「奪う」こともある。それはマイナスに見えるかもしれないが、私はそれを受け入れ、なおかつ主を賛美する。このようなヨブの信仰を、神様も喜ばれたことと思います。私たちも、身に起こる「マイナス」に見えることも、信仰で受け止めたいものです。


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