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  • 執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月3日(木)

更新日:2022年4月10日

【本日のみことば】

30:四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。

31:モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。

32:『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。

33:そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。

34:わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』

(使徒言行録 07章 30~34節)



昨日から教会の暦は四旬節に入りました。「四旬」とは四十のことです。今日の聖書箇所には意味深く、その「四十」という数字が出てきます。


それは、モーセが華やかなエジプトでの宮廷生活を四十年送った後のことです。その後エジプト人の命を奪ったことから四十年荒野で逃亡生活を送ることになってしまいました。言ってみればその暗黒の四十年が、冒頭で「四十年たったとき」と言われた時の「四十年」だったのです。その後、神様に召されてエジプトに同胞を救い出すために向かうのですが、その大事な召命の時に起こった出来事を、霊に満ちたステファノが最後の説教のようにして語っているのが、今日読んでいる箇所です。


このステファノという人物は、もとはと言えば使徒たちがみことばと祈りに専念できるようにと、食卓の奉仕のために選ばれた執事のような存在でした。でしかし例に満たされたステファノは力強くみことばを語り、そのゆえに捕らえられ、議会で急に証言することになってしまったのです。それでも慌てず焦らず、何も見ずに、とうとうとイスラエルの歴史、そこに繰り広げられる神様のみわざを語っていくステファノ。執事にしておくのがもったいないぐらいです。アブラハムのことから語り出したステファノは、今日の箇所でモーセの障害に到達します。


ステファノはここに来て、古くはイスラエルの荒野の四十年、近いところではイエス様の四十日間の荒野での誘惑などを起こし、この「四十」という数字に、特別な思いを抱いていたかもしれません。モーセにとって、エジプトでの四十年を捨てて、人生の大事な時期を荒野で過ごすのは容易なことではなかったはずです。しかし、訓練と思って耐え忍んだのがモーセでした。そのことを充分に理解したうえで、その四十年をしっかり、丁寧に生き切ったことに敬意を払い、ステファノは「四十年」という時の流れがあったことをはっきりと打ち出して、ここに語っているのです。


荒野で四十年を過ごした者こそが、神様に召されていく、ということもここでは言えるのかもしれません。そのように神様から訓練を受けて、私たちは神様の働きに入っていくのです。


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