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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月31日(木)

【本日のみことば】

19:さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。

20:テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。

(フィリピの信徒への手紙 2章 19~20節)


気落ちすること、誰にでもありますよね。そんな時、誰かがいてくれるだけで、あるいは一言でも声をかけてくれるだけで、力づけられるものです。


それは、信仰の勇者のように思われがちなパウロであっても同じでした。


「わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています」(19節)。


パウロはこのように、自分の弱さを隠さず、正直に外に表しています。信仰をいただいていても、落胆することはある。それに、そのような時、人を通しての慰め、励ましを受けることは何の問題もないことであるし、むしろパウロもそれを期待していた。そのことは、私たちへの良い知らせです。


ただ、このところを読んで、「このような個人的な使信を『御言葉だ』と言われても、どう読んだらいいのか」と思うこともおありでしょう。そのようなときには、具体的な状況から出来るだけ原則のようなものを引き出しましょう。例えば19節なら、先ほども触れましたが、弱さを隠さないこと、20節なら、誰も私のことをわかってくれないと思っていても、主は誰か、私のことを思い、私のことをわかってくれる人を近くに送って下さること、このようなことを受け取り、それをメッセージとしていただくことが出来るかと思います。またそこから発展し、このテモテの姿に、私たちに寄り添うイエス様の姿を見出すことも出来ます。


大事なことは、「これは当時のパウロとフィリピの人々との話なのだ」と距離を置くのではなく、常に「私と関係のある御言葉」と思って読む事です。そうする時、今まで見えてこなかったような恵みが見えてきます。




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