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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月30日

【本日のみことば】

12:日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」

13:しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」

14:というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。

(ルカによる福音書 9章 12~14節)


イエス様は時にはモーセに似ていると言われました。しかし、今日開いている聖書の箇所によると、イエス様は空腹に悩む大群衆を、「五十人ぐらいずつ組みにして」(14節)座るようにされました。


モーセはかつてあまりに忙しいので、それを見ていたしゅうとのエトロが思わず声をかけるほどでした。曰く、「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を/選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい」(出エジプト記 18章 21節)。「隊長」と言われるだけあって多少軍事的な要素も含んでいたと思いますが、このような組織分けが、モーセの働きを永らえさせたことは事実でしょう。


その点からすると、イエス様は男が五千人ほどいた群衆で、千人隊長も百人隊長も選んでいません。また、最小単位の十人隊長も選ぶことなく、ただ五十人隊長だけ選ぶかのように(実際選んだかどうかはわかりませんが)、民を五十人ずつに分けています。このように、いくら似ていても、モーセとイエス様では、していることが違うのです。


多少軍事的なニュアンスのあるこのグループ分けをなさらなかったことで、すでにここでイエス様は、ご自分がイスラエルの国を再興する軍事的なメシアであることを否定しておられます。周りの人々は、それに気づくべきでした。イエス様の発しておられるメッセージに気付き、イエス様を正しく理解するチャンスはあった。しかし、それを生かすことは出来ませんでした。あとはご存じの通り、十字架の予告(9章21~22節、44節)を経て、イエス様は実際に十字架へと向かっていかれます。


それでもなお、人々の中には、神の民を導いてきながら、肝心の神の約束の地にまでは入ることのできなかったモーセと、自分の教団を作ることもなく、働き半ばで十字架に散っていくイエス様と、共通点を見出していたかもしれません。しかし、モーセとイエス様には決定的な違いがあります。それは復活です。罪の赦しのための十字架の死を成し遂げた後、イエス様は復活なさいました。これは神の子イエス様しか成し得ないことでした。だから私たちは、イエス様を救い主と仰ぐのです。



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