top of page
執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月26日(土)

【本日のみことば】

1:【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

2:いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

(詩編 32編 1~2節)


今月最後の主日を迎えようとしています。「地には平和」と御言葉を掲げながらも、ウクライナへのロシア侵攻は激化するばかりで、多くの犠牲者も出ており、この月の内に解決を見ることはなさそうです。


そのような中に人間の罪を見る時、それは果たして赦されるものなのか、という疑問も生じます。それでもなお聖書は「いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」と、罪の赦しのメッセージを私たちに伝えています。


ここでは、罪の赦しは「覆う」という姿で現れます。箴言において


「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う」(箴言 10章 12節)


と言われているのと全く同じ考え方です。もしこの詩編がタイトルにあるようにダビデに由来するもので、箴言がソロモンに由来するものであるなら、親子二代にわたって同じ罪の赦しの信仰に立っていたことになり、しかもそれを「罪が神様によって覆われること」と共通して理解していたことになります。同じ「バト・シェバ事件」を軸として、罪と向き合わざるを得なかった二人が、罪責感の中で苦しむのではなく、罪の赦しをしっかり握っていた。そのことを知らされます。改めて、罪の赦しの偉大さとその意味を覚えます。

閲覧数:11回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page