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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月22日(火)

【本日のみことば】

13:律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。

(ローマの信徒への手紙 2章 13)


パウロは、旧約時代の考え方と、イエス様が来られてからの考え方の違いを、このローマの信徒への手紙で懇切丁寧に説明しています。


古いものと新しいものとの違い、あるいは、古いものよりも新しいものがいかに勝っているか、とうことをよく理解していなければ、新しいものの良さを捉えきれなくて、結局は古い世界に戻ってしまう、と​いうことにもなりかねません。皆さん、スマホを買い換えた時などいかがですか。新しい機種の良さを実感していなければ、使い慣れた古い機種の方が使いやすいように思ってしまって、なかなか新しいほうに移行できない、ということも起こりえます。


イエス様による新しい時代、そして新しい生き方も同じことで、実は、特に最初のうちなど、古い世界の方が生きやすかったりするのです。律法を聞いたら、聞いたということだけで終わらせるのではなくて、それを実行しなければならない。これは確実に重荷であるのに、人間の、​「​聞いた限りは何かしないといけないのではないか、という罪責感に訴えかけて、結局は人を​「​実行の世界」へと追いやっていく。これでは結局、いつまでも人間は「実行しなければならない」という束縛の世界から抜け出すことはできません。古い世界が​「​しがらみが多くて嫌だ」、と思っていながら、その反面、聞いたことを実行している自分に価値を見出したり、「実行している限りは安泰だろう」、という安直な考え方から、その間は​神様の怒りを免れることができる気がして、実はそこで安定してしまっている。人はどうしても楽な方に流れますから、意外にこの「実行の世界」への誘惑は強いものです。


そのようなしがらみが多い世の中で、イエス様は私たちを福音によって解放してくださり、当然のことながら、「聞いた限りは実行しなければならない、そうでないと裁かれる」、というような束縛からも解放してくださいました。もちろん私たちも今、イエス様に「御言葉を聞いて実行する者になりなさい」と言われます。しかしそれは、「信じた今は行う者になりたいのだ」という思いによるもので、​「​行わなければ救われない」とか、​「​神の怒りを免れるためには行いをしなければならない」​などと​いった切迫感からくるものではないのです。行うことが推奨されますが、それは救われるための必須条件ではなくなりました。私たちはただ自由に、感謝の心から行いをするのであって、強いられてするのではありません。これは旧約の時代との大きな違いです。


今は、どんなに自分の心が責められることがあっても、安心して、落ち着いて、御言葉を聞くだけで充分、という新しい世界の門が開かれました。実はその方が、本当は御言葉をじっくり聞くことができて、その真意も捉えやすくなります。「まずは実行しなければならない」、という焦りの中で御言葉を聞くときには見えてこなかったものまで見えてきます。落ち着いてゆったりと御言葉に耳を傾けていきましょう。


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