【本日のみことば】
1:【都に上る歌。】目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
2:わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。
3:どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。
(詩編 121編 1~3節)
明日の礼拝では松田卓先生が説教の御奉仕をしてくださいます。この場を借りて感謝申し上げます。従って交読文の箇所も、松田先生がお選びくださいました。有名な詩編121編で、「都に上る歌」に属しています。
冒頭に、「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」という詩編作者の告白があり、助けを求めている様子が表れています。その直後に、「わたしの助けはどこから来るのか」という切なる問いかけがなされています。
しかし、考えてみますと、他者が想定されていないようにも見えるこの詩編の始まり方からすると、この問いかけへの展開の仕方にややついて行けず、「誰に問いかけているのか?」という疑問も出てくるかもしれません。
ひとつの説としては、巡礼の都上りに行く集団が想定されているのではないか、と言われています。ですから、実はこの詩編、最初から複数の人々が想定されていた、ということです。あたかも交読文であるかのように、「山々を仰ぐ」と告白した人が、そのまま続いて集団の他のメンバーに、「助けはどこから来るのか?」と問いかける。すると、応答として、集団の他のメンバーが、「私の助けは天地を造られた主から来る」とその信仰を告白する、という流れです。
そうすると、なぜ急に3節で「あなた」なる存在が出てくるのか、それが理解できるようになります。「助けは主から」と告白できた民に向かって、1節を詠んだ人物が、あたかも民を祝福するかのように、「主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように」と祈る。そのような、巡礼の集団の中でのことばのやりとりを思い浮かべると、まことにこの箇所が交読文にふさわしい、と思えるようになります。明日の礼拝で交読することは、ある意味で当時の都上りの歌の再現をするようなものであるかもしれません。そう考えると、明日の礼拝が楽しみです。
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