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執筆者の写真明裕 橘内

続・毎日の黙想「コロナの時代を生きる」2022年3月11日

追悼


【本日のみことば】

20:しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。

(フィリピの信徒への手紙 3章 20節)


3月11日と言って忘れられないのは、あの今から11年前の東日本大震災でしょう。あの日、あの時。テレビを前に、その画面に映し出される光景を現実なのか虚構なのか・・・一瞬受け止めるのに時間を要する出来事でした。


私にとって、東北にルーツがありながら、同じ経験を共有していないことに罪責感を感じる、そのような災害であることも確かです。しかし、そんな感傷的な「私の気持ち」のことを語っている場合ではありません。まだまだ悲しみの中におられる方々は多いですし、特にこの日を迎えて、また悲しみを新たにしている方々も数多くおられるのです。


あれだけ多くの尊い人命が奪われた未曽有の大災害ですから、必然的に「死」について考えることを避けることはできません。死をタブー視するような日本では、それは簡単なことではないように思います。


だからこそ、パウロが獄中で記した「わたしたちの本国は天にあります」という言葉が、心に響いてきます。まずは、イエス様が私たちの行き先を整えてくださった。私たちに天を用意してくださったのです。このことを知って、安心してこれから先のことを任せることが出来るようになりました。その見方からすると、死というものは私たちの本国である天に至るまでの通過点に過ぎない。そのように、いわば死を「相対化」することで、死の恐れから解放されるのです。共に希望を持ちましょう。


♰東日本大震災の影響で今も悲しみの中におられる方々に、

  主の慈しみと憐れみが豊かに、尽きることなくありますように。


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