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受難週の黙想

  • 執筆者の写真: 明裕 橘内
    明裕 橘内
  • 3 日前
  • 読了時間: 2分

2026年4月2日聖木曜日

イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、

食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(ヨハネによる福音書13章3~5節)


今年も受難週を過ごしております。本日は洗足の木曜日です。


イエス様は、父なる神様がすべてをご自分の手にゆだねてくださったことを悟られました。なおかつ、ご自分が父なる神様のもとから来て、そこへと帰ろうとしておられることもまた、悟られました。すなわちこれは、ご自分の時が来た、すなわち、十字架による罪の贖いの時が近づいた、ということを悟られたことを意味しています。


ともに過ごしてきた弟子たちから離れる時が来たことを知って、イエス様は彼らの足を洗われます。これは、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13章1節)ことの表れでした。師である存在が、「上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれ」ることなど、みっともないことでしたし、「たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた」とありますが、そんなことは本来奴隷たちの仕事でした。父なる神様のもとから来られた偉大な救い主がするようなことではなかったのです。


それでも、イエス様は弟子たちをあまりに愛していたので、躊躇なく、そのようになさったのです。この愛は、単にかわいがる、ということを越えて、命を捨てるほどの大きなものでした。彼らの罪を背負って十字架にかかり、責任をもって、その贖いをするという、覚悟に基づく確かな愛だったのです。


この愛は時代を超えて私たちにも及び、今私たちはイエス様の十字架によって、確かに罪の赦しを受けています。だからこそ、不安の尽きないこの世であっても、神様との強い絆をいただいて、安心して過ごしていくことができるのです。改めてこの受難週に、そのことに感謝したいと思います。


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